尾﨑(和賀)萌子のホームページ

言語学な育児日記#17 人生回顧録 (就活編)

谷口ジョイ先生のご著書『ある言語学者の事件簿』に感化されて、自分の大学院生活を少し振り返ってみたくなった。
(谷口先生のご著書については第16回をぜひ見ていただきたい)

https://mwozaki.com/%e8%a8%80%e8%aa%9e%e5%ad%a6%e3%81%aa%e8%82%b2%e5%85%90%e6%97%a5%e8%a8%98-16%e3%80%80%e8%b0%b7%e5%8f%a3%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%82%a4%e5%85%88%e7%94%9f%e3%80%8e%e3%81%82%e3%82%8b%e8%a8%80%e8%aa%9e/

というわけで、しばらくのあいだ、大学院に入るまでのこと、そして入ってからの育児回顧録にお付き合いいただければと思う。

私は学部時代、法学部出身で、しかも不真面目の代名詞のような学生だった。
そのため就職活動では大いに苦労し、ただでさえ就職氷河期だったこともあって、なんと67社にも応募した。
そのうち、内々定をいただけたのは2社だけである。

大して勉強もせず、部活でも特筆すべき実績を残せず、これといって胸を張れることもなかったので、就活は本当に大変だった。

その2社のうちの1社が、オリンパス(株)だった。
当時は粉飾決算の件で上層部が記者会見で頭を下げたりと、何かと世間を騒がせていた頃である。

しかし実際のオリンパスは、製品の品質も高く、社員の方々も誠実で温厚で、福利厚生も充実した、とても良い会社だった。
ただ、世間的なイメージが悪すぎたのか、私が就活していた年は、他社のような「新卒採用特設サイト」などは見当たらず、会社のホームページを一番下までひたすらスクロールすると、ちーーーーーーさな文字で

「採用情報」

と書いてあるだけだった。

そのせいで応募者が少なかったのか、それまで敗戦続きだった私も、奇跡的に面接に呼ばれたのである。

しかも面接当日は記録的な大豪雨で、ニュースでは「不要不急の外出は控えるように」と繰り返し呼びかけていた。
しかし、私の面接は不要でも不急でもない。
めちゃくちゃ重要だし、めちゃくちゃ急いでいる。人生がかかっているのである。

駅から会社までのほんの短い距離で、ストッキングもリクルート用の黒いパンプスもすでにびしょ濡れになったが、そんなことは気にせず闊歩した。

会社に着くと、入り口で採用担当の方が待っていてくださった。
そして開口一番、

「こんな雨の中、来てくださってありがとうございます」

と声をかけてくださった。

それまで圧迫面接やお祈りメールの数々で、すっかり干からびていた私の心に、その言葉はオアシスのように染み渡った。

面接では志望動機などを聞かれ、私は「オリンパスのカメラがいかに素晴らしいか」「それをぜひ海外で販売したい」ということを熱く語った。
すると面接官の方が、静かにこうおっしゃった。

「うちは医療機器のほうが強いよ。海外に行きたいなら、志望先を変えたほうがいいよ」

聞けば、営業利益の7割は医療関係だという。

(あ、終わった……。志望動機、全部カメラ関連で書いてるし。企業研究してないの、モロバレじゃん……)

と、私は内心で絶望した。

そして、68社目への応募を覚悟した、死んだ魚のような目をしていた私を気の毒に思ったのか、面接官の方がぽつりとこう提案してくださった。

「……この場で訂正印を押して、志望先を書き換えたら?」

神なのか。
こんな私を、それでもまだ採りたいと思ってくださるのか。

そう思った私は、鼻息荒く訂正印を押し、せっせと志望先を書き換えた。
なお、後にも先にも、その場で履歴書を訂正させていただけたのはオリンパスだけである。

その後、面接はとんとん拍子に進み、あっという間に最終面接となった。

最終面接の前、人事担当の方からは
「とにかく余計なことは言わず、聞かれたことにだけ答えるように」
と念を押された。
その時点ですでに、私は余計なことをしゃべりがちな人間として見抜かれていたのだろう。

さあ、いよいよ最終面接である。

これまでとは違う、重厚な木の扉の前に通され、ノックをして部屋に入ると、床にはふかふかの絨毯が敷かれていた。
少し進むと、視界の先に7名のおじさまたちが見えた。
重厚な空間も相まって、ラスボス感がすごい。

「どうぞおかけください」

と言われて椅子に座ると、ラスボスのうちの1人が、予想外の質問をしてきた。

「今、どんなことを考えてる?」

学生諸君。
ここでの模範解答は、

「大変緊張しております」

である。

私のような間違いは、決して犯してはならない。
口と脳がほぼ直結している私は、あろうことか、

「絨毯がふかふかで気持ちいいなと思いました」

と答えた。

バカか。
当時の自分を椅子ごと部屋の外に引きずり出して、平手打ちしたい。

その後、何を話したのかはほとんど覚えていない。
同席してくださっていた、「余計なことを話すな」とあれほど念押ししてくださった人事の方とも、とても目を合わせられなかった。

しかし、なぜか奇跡的に内々定をいただけた。

今にして思えば、あの年、オリンパスに逆風が吹いていなければ、もっと応募者が殺到して、まともな受け答えのできる学生が私の代わりに選ばれていたのかもしれない。
人生、何が追い風になるかわからないものである。

その後、私はオリンパスで4年ほど働いた。
入社後も、営業車を配車されて2日目に廃車にしたり(ダジャレではない)、営業トークで緊張しすぎてお客さんに苦笑いされたり、後輩を慰めようと思って奢った居酒屋で2人そろって食中毒になったりと、相変わらずやらかし続けた。

それでも、本当に楽しく、充実した日々だった。
職場の皆さまには多大なるご迷惑をおかけしたが、今でも感謝しかない。
もしこれを読んでおられたら、あらためてお詫びと御礼を申し上げたい。

ただ、心のどこかにはずっと、

「大学時代に諦めてしまったけれど、本当は教職に就きたかったんだよなあ」

という思いが残っていた。
人生は一度きりだ、と思い、一念発起して教員免許を取りに行くことにした。

ちなみに余談だが、小学生の頃の将来の夢は「物理学者」だった。
とはいえ、本当に物理学者になりたいと思っていたわけではまったくない。
卒業式で、私の前のクラスメイトが「将来の夢は学者です!」と言った瞬間、保護者席が「おお〜」と沸いたのを見て、
(なんかそれ、かっこいいな)
と思い、私も口から出まかせで言っただけである。

まさか本当に研究者になるとは、人生、わからない。

〜続きは次回〜