言語学な育児日記と言いつつ、ここまでの回顧録はちっとも言語学でも育児でもないじゃないか、と思われるかもしれない。
ご安心ください。この回から、ようやく大学院と子育てが登場します。
さて、大学院入試に向けて猛勉強していた頃、私は同時に不妊治療もしていた。
不妊治療はこの時点ですでに2年近く続けており、体外受精にステップアップすべきかどうか、という時期だった。
しかし前回書いたように、私は一度「やりたい!」と思うと、やらずには気が済まない性格である。
万が一妊娠したら大学院はどうするのか、などということはまったく考えず、不妊治療と大学院受験の勉強を同時並行で進めていた。
そして迎えた大学院の合格発表。
言語学の辞典を数冊、ほぼ丸ごと暗記するなどの猛勉強の甲斐あって、なんとか合格することができた。
なお、面接では「英語、何点くらい取れたと思う?」と聞かれたが、自分ではけっこうできた感覚があったので、
「80点くらい……ですかね」
と答えたところ、
「え、そんなにできてると思ってるの? ふ〜ん」
と言われ、自分をその場で土に埋めたくなった。
そしてその後、1か月も経たないうちに妊娠が判明。
妊娠がわかって間もなく、つわりが始まった。私は吐きづわりタイプで、朝から晩まで、ひたすら吐き続けていた。
大学院の合格から入学までの間、少しでも言語学の知識を増やそうと、先生方の許可をいただいて学部の授業を聴講していたのだが、そもそも大学にたどり着くまでが一苦労である。ヘンゼルとグレーテルかのように、そこらじゅうにマーキングしながらでないと学校に着けない。
毎朝、
まずはあの垣根で…
次はあそこの排水溝で…
次はあそこの木の下で…
と、自らの痕跡を残しながら大学へ向かった。
なんとか教室にたどり着いても、わずかな空気の揺れですら吐き気を催し、すぐにトイレへ駆け込む日々。当然、授業内容はまったく頭に入らない。
この頃、大学院のゼミの飲み会にも誘っていただき、参加した。
ただ、初対面の皆さんの前で吐き散らかすのだけは絶対に避けたい。そう思って、私はひたすら口を閉じ、話すときもできるだけ鼻呼吸で乗り切っていた。
その結果、あとから知ったのだが、
「めちゃくちゃ寡黙でおとなしい人が入ってきた」
と、ずいぶん心配されていたらしい。
後にも先にも、「寡黙でおとなしい」と言われたのはこのときが最初で最後である。
そうして、相変わらず言語学の知識はゼロに近いまま4月に正式入学したのだが、その頃にはすでに妊娠7か月になっていた。
つわりで13キロ痩せた体重は、その後23キロ増え、差し引きプラス10キロ。
重い体を引きずりながら大学で授業を受けていた、ある月曜日のことである。
「ん…なんだかお腹が痛いような…?」
と思いながら授業を受けていたら、本当に痛くなってきた。
結局その日は入院になったものの生まれず、いったん帰宅し、その3日後に出産した。
出産自体は非常にスムーズで、陣痛開始から出産までは13時間、入院してからはわずか4時間というスピード出産だった。
しかし途中で私のメンタルと痛み耐性がきれいに決壊し、当初はまったく予定していなかった無痛分娩に(ほぼ泣き落としの勢いで)変更した。
ところが案の定、途中からなので麻酔の効きが悪い。
麻酔が全身に回るようにと、助産師さんから「分娩台の上で左右にゴロゴロ動いてください」と指示される。
分娩台の上で必死に転がる自分の姿は、まるで陸に打ち上げられたセイウチである。
これは一体、何の羞恥プレーなのか。
そんなことを思っているうちに、徐々に麻酔は効き始めた。
…が、なぜか右半身にしか効かない。
右半身は無痛、左半身は激痛という、意味不明な状態である。
そのとき看護師さんが、
「ご気分はどうですか〜?」
と優しく声をかけてくれた。
おそらく麻酔をかなり使ったので、吐き気などがないか確認してくれたのだろう。
しかし、謎の半身麻酔にすっかり意識を持っていかれていた私は、質問の意図を盛大に取り違えた。
私「気分はヒラメのようです」
看護師「…へ?」
私「いや、半身無痛で、半身激痛だから、なんかヒラメみたいだな〜と思って。へへ」
看護師「…あ、吐き気とかはないですか?」
私「…え? あ、あ、なるほど。はい、ないです(消えたい)」
そんなやりとりをしているうちに、子どもは生まれた。
そして出産後にやってきたのは、産後ハイによる無双モード。
生まれたばかりの我が子を横目に、来週月曜日までの発表をなんとか完成させなくては!」と思い、マリオのスター状態のごとき勢いでスライドを仕上げた。
さすがに木曜出産・翌週月曜復帰は間に合わなかったため、音声吹き込み版を先生に送り、授業で再生していただいた。
これが、そのときの記念すべきスライドである。


何が「産まれました!」だ。
この先に待ち受ける睡眠不足、うんちのロケット噴射、ひび割れる乳首の惨劇を知っていたら、とてもではないが、そんな晴れやかなテンションではいられない。
相変わらず、無知とは恐ろしい。
産後ハイの勢いはすさまじく、退院直後から大学院に復帰したため、休んだのは1週間足らずだった。
良い子は絶対に真似しないでほしい。
出産は全治1年の交通事故に相当する、とも言われるくらいである。
産後の体は、よくいたわるに越したことはない。
私の体験を美談にしてよいことは何ひとつない、ということは強調しておきたい。
その後は、先生方のご理解もあり、授業に子どもを連れて行って授乳しながら受けたり、連れて行けないときは母に子どもを預けて、家と大学の間を何度も往復したりした。
搾乳機がカバンの中で分解されていた悲劇。
授乳ケープで隠しきれず、気づけばおっぱいが丸出しになっていた悲劇。
ほかにも数々の悲劇に見舞われたのだが、ここでは割愛し、「死にそうな日々だった」と総括しておく。
ただ、死にそうだったからこそ、何に対しても全力だった。
時間が限られていたぶん、吸収できるときに全力で吸収した。
その後、だいぶ端折ったが、授乳と課題と睡眠不足に追い立てられながらも、なんとか修士論文を提出した。人間、追い詰められると意外とやれるものである。
そうして無事に修士号を取れた私は、進学して研究の道を歩むか、当初の予定通り、中高の教員になるか、を悩むことになった。
〜続く〜