尾﨑(和賀)萌子のホームページ

言語学な育児日記#23 「シリアルまだですか?」は失礼?

先日のこと。
朝ごはん作りをのんびりしていたら、息子から

「シリアルまだですか?」

と言われた。

おお、ちょっと前まで「ねぇええええシリアルうううう」だったのに、ずいぶん成長したものだなあ、と感心していたら、さらにその上をいく成長ぶりを見せてきた。

「シリアルまだですか? って、なんか感じ悪い気がする。なんて言えばいいの?」

ほほー。さすがピカピカの1年生である。

しかし、たしかに難しい。
「シリアルまだですか?」より丁寧で、でも親子の会話として不自然すぎない言い方とは何か。

親に向かって
「シリアルをご提供いただけましたら幸いです」
などと言い出したら、それはそれで別の心配をしたくなる。

少し考えた末、私は

「うーん、シリアル入れてもらえたら嬉しいな、とかかな」

と答えた。

さて、なぜ「欲しい」を「してもらえたら嬉しい」に変えると、丁寧に聞こえるのだろうか。

これは、Grice が提案した「協調の原理」でかなりうまく説明できる。

Grice によれば、私たちは会話をするとき、相手が一見まわりくどいことを言っていても、「きっと何か意味があってそう言っているのだろう」と前提して理解している。
つまり会話とは、ただ文字どおりの意味を受け取る作業ではない。
「この人はいま何を伝えようとしているのか」を、互いにそれなりに頑張って推理し合う営みなのである。朝の台所でも、地味に高度な知的活動が行われている。

たとえば、「シリアルちょうだい」は直球だ。意味は明快である。
そのぶん、相手に対して要求を真正面から差し出す形になる。

一方で、「シリアル入れてもらえたら嬉しいな」は、文字どおりにはただの「私がどういうときに嬉しいか」という気持ちの説明にすぎない。
文法的には命令でも依頼でもない。

それでも聞き手は、ここで協調の原理にもとづいて考える。
「この子は、いまこのタイミングで、わざわざ自分の嬉しさの条件だけを報告しているのだろうか」と。

いや、たぶん違う。
ということは、この発話には別の意図があるはずだ。
つまり、「シリアルを入れてほしいのだな」と推論する。

これが、いわゆる間接言語行為である。
表面上は気持ちや希望を述べているようでいて、実際には依頼をしている。

では、なぜこのような言い方が丁寧に感じられるのか。

ひとことで言えば、要求をむき出しにしていないからである。

「シリアルちょうだい」は、相手をそのまま行動へ向かわせる。
それに対して、「入れてもらえたら嬉しいな」は、いったん「自分の気持ち」の形を取る。
最終的には依頼として伝わるにしても、命令や要求をそのまま突きつける感じは薄まる。

このワンクッションが大きい。なぜならば、このクッションが相手に断る余地を残すからである。

たとえば、

「ごめん、いま目玉焼き焼いてるからちょっと待って」

とも返しやすい。

直接的な要求だと、断る側も少しぶつかりやすくなる。
それに比べて間接的な依頼は、会話全体をやわらかくする。

要するに、間接言語行為が丁寧に聞こえるのは、
「私はあなたにこれをしろと強く迫っているわけではありませんよ」
という形を取りながら、それでも協調の原理のおかげで、相手にはちゃんと意図が伝わるからである。

なお、こういう間接表現は、使いすぎると今度は面倒くさい人にもなる。

「ちょっとお腹すいたなあ」
「へえ」
「……」
「……ご飯は作らないと出てこないんですけど?」

という不毛な心理戦が家庭内で勃発することもある。

丁寧さと、めんどくささ。
この二つもまた、紙一重なのである。