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言語学な育児日記#24 ランドセルと「おはようございます」

4月は新生活の季節で、毎年なんだかんだ慌ただしい。けれど今年は、私の所属先が新年度を迎えただけでなく、息子も小学校1年生になり、例年以上のバタバタ感である。

小学生になると、それまでの生活リズムががらっと変わる。朝は何時に家を出るのか、帰りは何時にどこへ迎えに行くのか。考えないといけないことが一気に増える。いわゆる「小1の壁」というやつだが、我が家も見事にその洗礼を受けている。

徒歩で登校するといっても、うちの地域は集団登校があるわけではない。これまで幼稚園までは車で送迎していたのに、いきなりランドセルに大量の荷物を入れて片道25分。息子がちゃんと歩けるのかというと、まあ、かなり怪しい。何度か練習はしたものの、新年度が始まってみると、行きは徒歩、帰りは小学校から学童、そこから習い事、と移動も複雑である。そうすると、誰が迎えに行くのか、誰が朝付き添うのか、何曜日はどういうスケジュールなのか…。夫は行けないので自分が行くしかないのだが、そうすると1限にギリギリ間に合わないかもしれないっっ!!など、問題は山積みである。

それはさておき。(さておくんかーーい)

入学式での校長先生のお話が、言語学的にとても印象に残ったので、今日はその話を書いてみたい。

新1年生に向けて、校長先生はこんなふうにおっしゃっていた。

「挨拶がしっかりできるって、学校ではとっても大切なことです。おはようございます。こんにちは。さようなら。ありがとう。ごめんなさい。こういった挨拶が、これから毎日しっかりできるようにしてください。」

たしかに、挨拶はとても大事だ。挨拶がハキハキしているだけで気持ちがいいし、良い印象を与えるのも間違いない。

でも、この「小学校入学時の校長先生のスピーチ」という場面で挨拶が強調されるのは、やはりおもしろいなと思った。

というのも、幼稚園のときにも「挨拶をしっかりしよう」とは何度も言われてきた。でも、それが明確に「できるようになるべきこと」「これからの目標」として語られるのは、小学校に入ってからのような気がする。「園」を卒業し、「学生」として学び、生きていく者として、まず身につけるべきものが挨拶なのか、と思うと、なかなか興味深い。

しかも、挨拶の習得は意外と難しい。

子どもの頃にはあんなに簡単に言えていたはずの「ごめんなさい」が、どうして大人になるとこんなに苦しくなるのだろうか。新社会人になってからも挨拶の指導が入ることが多いように、言えているようで、実は「きちんと言えている」人は意外と少ない。

ちなみに、英語のスピーチで「しっかり挨拶できるようになろう」という話が出てくることは、あまりない気がする。というより、そもそも日本語の「挨拶」にぴったり当てはまる英語がない。greetings はたしかに「挨拶」ではあるのだけれど、謝罪や感謝までは含まない。

アメリカの小学校教師が7〜8歳の子どもたちにどのような挨拶をしているかを分析した研究によると、教師は毎朝、黒板にその日の学習内容に合わせた挨拶を書いていたらしい。たとえば、その日に詩を読む活動があるなら、Hello Poets! といった具合である。この論文にはほかにもいろいろ興味深い例が出てくるのだが、日本の小学校でよく見られるような、「おはようございますを大きな声ではっきり言いましょう」とか、「声が小さいからやり直し」といった活動は見られなかったようだ(Shields-Lysiak et al., 2020)。たしかに、私自身も4歳から11歳までアメリカに住んでいたが、挨拶についてあまり注意された記憶はない。

まさに、これは言語社会化の興味深い一例だと思う。

たかが挨拶、されど挨拶。

小学生としての初日に、早速ことばの社会化が始まったのだなと思うと、ランドセルよりも何よりも、そのことに成長を感じて少し感慨深くなった。

 

Shields-Lysiak, L. K., Boyd, M. P., Iorio Jr, J. P., & Vasquez, C. R. (2020). Classroom Greetings: More than a Simple Hello. Iranian Journal of Language Teaching Research8(3), 41-56.