前回の続き。
教員免許を取ることにした私は、しばらく通信で教職に必要な単位をそろえようと頑張っていた。
当時は希望どおり海外マーケティングを担当していて、海外出張だらけの毎日だったのだが、出張の行き帰りの飛行機、現地のホテル、帰国後の電車の中など、隙あらばレポートを書いていた。
しかし、ご存じの方はわかると思うが、慶應通信はとにかくハードルが高い。
学部は通学で通っていたのでなおさらわかるのだが、通学課程に比べて、通信で卒業までたどり着くのは至難の業である。
教科書を読む
→ レポートを書く
→ レポートに合格する
→ 試験を受ける
→ 試験に合格する
というステップを踏まなければならないのだが、そもそもそのレポートに全然合格できない。
「課題の趣旨をご理解いただけていないようです」
「重要な先行研究が押さえられていません」
などとコメントが返ってくるのだが、趣旨を理解していないならもはや自力ではどうにもならないし、何が重要なのかすらわかっていないのなら、もう完全にお手上げである。
というわけで、通信は途中で断念し、取りきれていない授業は「教職特別課程生」という1年限りの対面コースで取得することにした。
しかし、そのためには仕事を辞めなければならない。
仕事はとても楽しかったので少しだけ悩んだが、もともと「やりたい!」と思うと引き返せなくなる性格である。
夫にもさほど相談しないまま、ある日思い立ったように上司に退職の意向を伝えた。
突然だったので職場の人たちにはかなり驚かれたし、夫に至っては、
「今日、退職してきたわ」
と、過去形で事後報告する羽目になった。
ちなみに夫は大阪出身で、当時はしばらく東京―大阪の週末婚をしていた。
その後、私の職場に近づくために、わざわざ転職までして関東に来てくれたのである。にもかかわらず、私はその1年足らず後に突然仕事を辞めてしまった。内心かなり複雑だったのではないかと思うのだが、このときの心境は、いまだに聞けずにいる。
退職後は予定どおり教職課程に邁進した。
対面授業で先生から体系的に学べることもあり、それまでの苦行は何だったのだろうと思うほど、サクサク単位を取ることができた。
学部時代の先生方には大変申し訳ないのだが、人生で初めて大学の授業を真面目に受けた気がする。
その後、いよいよ教育実習がやってきた。私は胸を躍らせながら実習校へ向かった。
教育実習そのものは、実習仲間にも恵まれてとても充実していた。けれど心の片隅では、
「あれ……なんか思っていたのと違うような……?」
という、捉えどころのないもやっとした感覚があった。
とはいえ、教職のために職も、時間も、お金も、すでにいろいろなものを差し出してしまっていた私は、「もしかしたら自分のなりたい仕事は中高の教員ではないのかもしれない」などという恐ろしい可能性には、とても向き合えなかった。なので、その違和感には気づかないことにした。
その後、「どうせなら専修免許も取ったほうがよいだろう」と思い、教職課程の中で受けていた言語学の授業が面白かったこともあって、軽はずみな気持ちで、その授業を担当されていた井上逸兵先生にアポをお願いした。
それまで私は言語学をきちんと学んだことがなく、私の中の言語学の知識といえば、ほぼ井上先生の授業だけだった。
そのため、専修免許取得を見据えた大学院進学であり、研究者になりたいわけではないことを正直に伝えつつ、それでも頑張って一人前の修士論文を書き上げるつもりはある、という意気込みを先生に話した。
すると先生から、
「今まで他学部卒業でまともに修了した人は1人もいない。それでもいいなら……」
と言われた。
今だから言えるが、「そりゃそうですよね、そんなに甘い世界じゃないですよね」と思う一方で、なぜかめちゃくちゃイライラした。
私は私なりに、ここまでそれなりに頑張って生きてきたつもりである。それなのに、これまでの「ありがちなパターン」に当てはめて、最初から決めつけられるなんて、と思ってしまったのだ。
そして気がついたら、
「それじゃあ、私がその1人目になります」
と口走っていた。
無知とは恐ろしい。
認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを。
しかし、言ってしまったからにはやるしかない。
こうしてその夏、大学院入試に向けた猛勉強が始まった。
〜続きは次回〜