前回に続き、大学院生活の回顧録です。
博論は1回では語り切れないので、2回に分けてお届けします。
博士課程は、それはもう楽しかった。
運よく高額の競争的資金を獲得できたり、それを活用して海外学会に参加したり、インパクトファクターの高いジャーナルに投稿してみたり(そして見事に落ちてみたり)、前半は楽しいことづくめだった。
修士課程の頃ほど授業も詰まっておらず、時間の融通が利きやすかったこともあり、育児との両立もしやすかった。大学で非常勤として英語を教え、研究をし、育児をし、という生活にも慣れきて、まさに順風満帆そのもの。
しかし、博士課程がそんな激甘パラダイスなわけがない。
そう、あの存在を忘れてはいけない。
★ 博 ★ 士 ★ 論 ★ 文 ★
まずは、博士論文の何が大変なのか、ざっとおさらいしておこう。
第一に、書く分量が修士論文の2〜3倍ある。
単純に、書く量がめちゃくちゃ多いのである。
さらに、ただ「データを集めました、分析しました、それっぽいことを言いました」では済まない。学術的に何か新しい発見をし、それを分野の理論に還元しなければならない。
しかし何を隠そう、私はつい数年前まで言語学の「げ」の字も知らなかったような人間である。
しかも、ピシッとしたスーツや仕事のできそうな服はクローゼットの奥に追いやられ、日々の装いは育児特化型の戦闘服―スニーカー、UNIQLOの履き古した下着、UNIQLOのズボン、UNIQLOの (以下略)、という有様である。
そんな人間に、学術的な爪痕を残すようなものを、一体どうやって生み出せというのか。
しかも、博士論文は誰でもすぐに書けるわけではない。
大学によって事情は異なるだろうが、慶應の文学研究科(英米)の場合、まず研究を積み重ね、ゼミで発表を重ね、国内外の学会で発表をして、査読付論文を書き、「なんとなく博論、書けそう…かも?」という段階になったら、ゼミの先生と相談する。相談の結果、「よし、書いてみよう」となったら、まず博論のうちの1章と全体構成を書いて提出する。
その提出書類一式をもとに挑むのが、candidacy(キャンディダシー)という面接である。
面接では、冷や汗をかきながら、これから書く予定の論文について先生方からあれこれ問われる。
研究のプロ集団の前では、ごまかしは一切効かない。
化けの皮をすべて剥がされ、真っ裸にされる気分である。もはや、調理場に運ばれる前の、羽をむしられたニワトリである。
その後、合否が言い渡され、合格した者にのみ、ようやく博論を書く資格が与えられる。
そして博論をすべて書き終えたら、主査の先生と副査の先生方との口頭諮問が待っている。真っ裸PART2である。
そこも無事通過できたら、教授会で審議にかけられ、さらにそこも通過して、ようやく博士号が授与されるのである。
さて、上ではさらっと「博論をすべて執筆し終えたら」などと書いてしまったが、この一行には筆舌に尽くしがたい苦しみが詰まっている。
まず、書いても書いても終わらない。
本当に終わらない。
ありとあらゆる隙間時間を、すべて博論に捧げる日々が始まった。
寝ても起きても、ずっと博論に支配される。
しかも、こういう時に限って家族の誰かが体調を崩すのである。
当時の私の狂気のつぶやきをご覧いただきたい。

あまりにも時間が足りなかったので、どんな場所でも、どんなに短い時間でも、一瞬で集中力を発揮できるようになった。
博論を通して、私はただのBBAから、短期決戦型BBAへと進化したのである。
そして進化すると、どうやら周囲にも威圧感を与えてしまうらしい。
電車の中では、あまり近くに誰も座ってくれなくなった……。
そんな当時の様子がこちら。

そうこうしているうちに、締め切りはどんどん迫ってくる。
本来、博論に厳密な締め切りなどないのだが、私は「博士号取得見込み」で次の就職先に採用していただいていたため、何としても3月末までに書き上げなければならなかった。
そして何より、この狂気じみた日々があと1日でも長く続くなど、想像したくもなかった。
朝早起きして書く。夜徹夜する勢いで書く。電車の中で書く。学会の隙間時間でも書く。お迎えに行く前に車の中で数分でも書く。そうしていても、どうしても間に合わない。
家事と育児をしながらでは、もうこれ以上は無理である。
そう思い、当時同じタイミングで博論を書いていた戦友ならぬ戦輩とともに、文字通り、山に籠ることにした。
次回、山に篭ります。
〜次回に続く〜