先日のこと。
朝ごはん作りをのんびりしていたら、息子から
「シリアルまだですか?」
と言われた。
おお、ちょっと前まで「ねぇええええシリアルうううう」だったのに、ずいぶん成長したものだなあ、と感心していたら、さらにその上をいく成長ぶりを見せてきた。
「シリアルまだですか? って、なんか感じ悪い気がする。なんて言えばいいの?」
ほほー。さすがピカピカの1年生である。
しかし、たしかに難しい。
「シリアルまだですか?」より丁寧で、でも親子の会話として不自然すぎない言い方とは何か。
親に向かって
「シリアルをご提供いただけましたら幸いです」
などと言い出したら、それはそれで別の心配をしたくなる。
少し考えた末、私は
「うーん、シリアル入れてもらえたら嬉しいな、とかかな」
と答えた。
さて、なぜ「欲しい」を「してもらえたら嬉しい」に変えると、丁寧に聞こえるのだろうか。
これは、Grice が提案した「協調の原理」でかなりうまく説明できる。
Grice によれば、私たちは会話をするとき、相手が一見まわりくどいことを言っていても、「きっと何か意味があってそう言っているのだろう」と前提して理解している。
つまり会話とは、ただ文字どおりの意味を受け取る作業ではない。
「この人はいま何を伝えようとしているのか」を、互いにそれなりに頑張って推理し合う営みなのである。朝の台所でも、地味に高度な知的活動が行われている。
たとえば、「シリアルちょうだい」は直球だ。意味は明快である。
そのぶん、相手に対して要求を真正面から差し出す形になる。
一方で、「シリアル入れてもらえたら嬉しいな」は、文字どおりにはただの「私がどういうときに嬉しいか」という気持ちの説明にすぎない。
文法的には命令でも依頼でもない。
それでも聞き手は、ここで協調の原理にもとづいて考える。
「この子は、いまこのタイミングで、わざわざ自分の嬉しさの条件だけを報告しているのだろうか」と。
いや、たぶん違う。
ということは、この発話には別の意図があるはずだ。
つまり、「シリアルを入れてほしいのだな」と推論する。
これが、いわゆる間接言語行為である。
表面上は気持ちや希望を述べているようでいて、実際には依頼をしている。
では、なぜこのような言い方が丁寧に感じられるのか。
ひとことで言えば、要求をむき出しにしていないからである。
「シリアルちょうだい」は、相手をそのまま行動へ向かわせる。
それに対して、「入れてもらえたら嬉しいな」は、いったん「自分の気持ち」の形を取る。
最終的には依頼として伝わるにしても、命令や要求をそのまま突きつける感じは薄まる。
このワンクッションが大きい。なぜならば、このクッションが相手に断る余地を残すからである。
たとえば、
「ごめん、いま目玉焼き焼いてるからちょっと待って」
とも返しやすい。
直接的な要求だと、断る側も少しぶつかりやすくなる。
それに比べて間接的な依頼は、会話全体をやわらかくする。
要するに、間接言語行為が丁寧に聞こえるのは、
「私はあなたにこれをしろと強く迫っているわけではありませんよ」
という形を取りながら、それでも協調の原理のおかげで、相手にはちゃんと意図が伝わるからである。
なお、こういう間接表現は、使いすぎると今度は面倒くさい人にもなる。
「ちょっとお腹すいたなあ」
「へえ」
「……」
「……ご飯は作らないと出てこないんですけど?」
という不毛な心理戦が家庭内で勃発することもある。
丁寧さと、めんどくささ。
この二つもまた、紙一重なのである。