尾﨑(和賀)萌子のホームページ

言語学な育児日記#29 意外?なつまづき

遡ること、3ヶ月前。

小学校1年生になり、そろそろ学習習慣を作った方が良いか…と思い、チャレンジを始めてみた。
元々そろばんも習っていたので、まぁ算数は余裕でしょ!と思って「簡単だからやってみ〜」と息子に渡したところ、まさかの部分で大苦戦。

なにかというと、

・(1)(2)などがわからない。ページを一番上から読み、(1)(2)と順番に解く、という流れを知らない
・文章題を理解できない。そもそもちゃんと読まない
・国語に至っては尚更。「文章中から抜き出す」ということが理解できず、マス目を違うもので埋めようとする

考えてみれば、私も小学校5年生でアメリカから帰国した時に、「このマス目には一体なにを書けば良いのだろうか? はて…?」と思ったことを思い出した。

これは、まさに言語社会化の一例だろう。Schieffelin and Ochs(1986)は、子どもがことばを学ぶということは、単に語彙や文法を覚えることではなく、その社会で期待されるふるまい方を学ぶことでもあると述べている。

チャレンジも同じである。
子どもは、足し算やひらがなだけを学んでいるのではない。
「問題は上から順に読む」
「(1)(2)は解く順番を表す」
「マス目には指定された形式で答えを書く」
「抜き出すとは、本文の中から同じ言葉を探すこと」
という、日本の学校教育に特有の読み方そのものを学んでいる。

大人から見ると当たり前すぎて、教えるべきことだと気づきにくい。
でも、これらは自然に身につくものではなく、学校という場に参加する中で少しずつ覚えていく作法である。

「わかる」ことと「学校的に正しく答えられる」のあいだには、意外と距離があるのだ。
そして親の私は、その横でつい、
「いや、そこから!?」
とツッコミながら、学校リテラシーへの社会化を目撃しているのである。

参考文献
Schieffelin, B. B., & Ochs, E. (1986). Language socialization. Annual Review of Anthropology, 15, 163–191.