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言語学な育児日記#12 バイリンガル母、あえて英語教育に力を入れない理由

私は大学で英語や言語学を教えている。
授業の冒頭には、恒例の「Q&Aコーナー」がある。授業内容に関係あってもなくてもOK、学生が匿名で投げた質問の中から、毎回いくつかをランダムに拾って答えるというものだ。そんなQ&Aで、どの授業でも必ず出てくる鉄板質問がある。

「お子さんはバイリンガルにしたいですか?」

英語教師で、言語学者で、本人もバイリンガル。学生としては、ここは当然「YES」を期待しているはずだ。
しかし私の答えは「NO, but maybe」である。
すると、それまで机に顔をうずめていた学生が、だいたいこのタイミングで顔を上げる。

なぜ「ぜひバイリンガルに!」と思わないのか。理由は大きく分けて三つある。

1. バイリンガルになること自体より、「維持」がとにかく大変
2. 息子には、今のところその努力をしたいモチベーションがない
3. やりたいと思ったときにやればいい、と思っている

まず最初に、誤解のないように言っておきたい。
私は英語教育を否定しているわけでも、早期教育やイマージョン教育に否定的なわけでもない。子どもも教育も本当にさまざまで、「これが正解」という一つの答えはないと思っている。ここで書くのはあくまで、「私個人が自分の家でどうしているか」という、かなり個人的な話だ。

さて、理由を一つずつ順番にみていきたいと思う。

理由①:バイリンガルはなってからがしんどい
私は幼少期をアメリカで過ごした。おかげで、気づいたときには英語を話していた。これは本当にラッキーだったと思う。
……ただし、問題はそこからだった。
日本に帰国すれば、当然、英語は少しずつ抜けていく。人間の忘却力は想像以上に強力で、どれだけ刷り込まれた言語でも、油断すると指の間から砂のようにこぼれ落ちる。
よく、「忘れても、また思い出せるでしょ?」と言われる。いや、問題はそこじゃない。

英語という言語は、私の場合、アイデンティティと強く結びついている。日本語で話す私と、英語で話す私では、性格が微妙に…いや、けっこう違う。
だから英語を忘れるというのは、単語を忘れること以上に、自分の性格の一部へのアクセス権を失う感覚に近い。
結果どうなるかというと、英語を忘れるのが怖くなる。忘却に抗うため、日常生活で必死に英語に触れ続ける。
そして少しでも「出てこない単語」があると、謎の喪失感に襲われる。
正直に言うと、このプレッシャーは結構重い。
「英語が話せるからこその贅沢な悩みでしょ」と言われることも多い。それも分かる。分かるけど。
毎日、日本で日本語だけで生きていても、「英語を維持しなきゃ」という見えない枷は、思っている以上にずっしりしている。この重さを、息子に背負わせたいか?と聞かれたら、私は即答できない。

理由②:やる気が、ほぼゼロ
息子はイマージョン教育をしている幼稚園に通っている。入園を決めた理由は、いきなり「科目」として英語に触れるよりも、自然に文字通り「イマージョン(没入)」された方が、英語を好きになれる可能性が高いのではないか、と思ったからである。そういうわけで、英語に触れる機会は、世間的に見ればかなり多い。
しかし、最近の息子の発言をここで紹介したいと思う。

「今日、英語の日か〜。いやだな〜」
「英語覚えるのめんどくさい」
「日本語のほうが好き」
「(英語の日の前日)僕お熱あると思う」

……はい。
ここで登場するのが、モチベーション理論である(鹿毛, 2012)。

心理学ではよく、
動機づけ=期待 × 価値
と説明される。

期待:やればできそうか(「やれば英語を話せるようになる」)
価値:それをやりたいと思えるか(「英語を話せたらかっこいい」)

ポイントは掛け算。どちらかがゼロなら、結果もゼロ。
息子の場合、「英語をやりたい理由」が限りなくゼロに近い。

この状態で「そのうち好きになるはず!」と英語教育を強行突破したらどうなるか。息子の性格的に、おそらく好きになる前に嫌いになる。
研究者としても、母としても、それはできれば避けたい。

理由③:今やらなくても、人生は終わらない
早期英語教育を支える理論として、よく知られているのが臨界期仮説だ。
「ある年齢を過ぎると、言語習得が難しくなる」という考え方で、古くは9〜13歳頃が一つの目安とされてきた(Lenneberg, 1967)。
ただし、その後の研究はもう少し複雑だ。

Flegeら(1999)は、英語を第二言語として学んだ、アメリカ在住の韓国人移民を対象に調査を行い、確かに発音については「若いほど有利」な傾向を示した。しかしそれは「ある年齢を境に急に無理になる」という話ではなく、ゆるやかな変化だった。
文法に至っては、年齢の影響はさらに弱い。大人になってからでも、英語母語話者に引けをとらず、十分に伸びる人は普通にいる。
さらに、EFL(外国語として英語を学ぶ)環境では、「開始年齢」よりも「授業時間」の方が成績を左右するという研究も多い(Fullana, 2006)。
要するに、「早く始めれば有利な面もあるが、遅く始めたから終わり、では全くない」というのが、現在のかなり現実的な見方だ。

というわけで、我が家はこう思う。それなら、今は別の力を。

息子が大人になる頃、英語教育を取り巻く環境は、今とはまったく違っているかもしれない。
AIや翻訳技術がさらに進化して、発音や文法が完璧でなくても、普通に意思疎通できる時代が来ている可能性もある。
それでも英語が必要な時代が続いていたら?そのときは、そのときでいい。本人が「やりたい」と思った瞬間に、本気でやればいい。

共働きの我が家では、習い事の日は限られている。その限られた時間で、サッカーでフェアプレーを学び、プールで悔しさと向き合い、友達との衝突で対人スキルを身につける。今はそっちの方が、息子には大事だと思っている。

というわけで、我が家では英語教育をやらせないのではなく、今は、集中的にはやらせないことを選んでいる。
言語も、やる気も、人生も、タイミングがある。そのタイミングを、できるだけ大事にしたいと思う。

参考文献:
Flege, J. E., Yeni-Komshian, G. H., & Liu, S. (1999). Age constraints on second-language acquisition. Journal of memory and language, 41(1), 78-104.
Fullana, N. (2006). The Development of English (FL) Perception and Production Skills: Starting Age and Exposure Effects. In C. Munñoz (Ed.), Age and the Rate of Foreign Language Learning (pp. 41–64). Multilingual Matters。
Lenneberg, E. H. (1967). The biological foundations of language. Hospital Practice, 2(12), 59-67.
鹿毛雅治 (2012) モティベーションをまなぶ12の理論. 金剛出版.