尾﨑(和賀)萌子のホームページ

言語学な育児日記#30 バカなカバとおバカ

昨日の7歳息子との一場面。
「それ、おバカだよ〜!」
と息子が私をいじってきた。
ところが、そのとき私は一日の疲れからか、ぼけーっとしていて返事をしそびれた。どうやら息子には、私が気分を害して黙り込んだように見えたらしい。
すると、少し慌てた様子で、 「あ、あっちのバカじゃなくて、おバカの方のおバカね。バカなカバじゃなくて、おバカの方のおバカ。わかった?」と説明し始めた。
私「え、あ、うん笑」
息子「ふ〜、よかった」

そこで気になって聞いてみた。

私「ところで、バカなカバとおバカは違うの?」
息子「え、違うでしょ。バカは失礼でしょー! ママ、大人なのにそんなこともわかんないの?」

…失礼しました。

息子の中では、「バカ」と「おバカ」は明確に別物らしい。
辞書的な意味だけを見れば、どちらも相手を賢くないと評価する表現である。「お」が付いたからといって、「お名前」のような丁寧語になるわけでもない。
しかし、実際の会話では、失礼に見える表現が必ずしも失礼になるとは限らない。
ポライトネス研究では、人が他者との関係の中で守ろうとする社会的な自己イメージを「フェイス」と呼ぶ(Brown & Levinson, 1987)。相手を「バカ」と呼ぶことは、その能力や自己イメージを否定し、フェイスを脅かす行為になり得る。
一方で、親しい相手に、「アホやなあ」 「ほんと、ばかだね」 「もう、おバカ!」 と言うことで、かえって親しさが表現されることもある。
表面上は失礼なことばを使いながら、実際には相手を傷つける意図がない現象は、mock impoliteness(見せかけの非礼)やbanterとして研究されている。からかいが冗談として共有されれば、攻撃ではなく、親密さを確認する行為にもなる。
息子の「おバカ」も、まさにこの種類のことばだったのだろう。

ただし、冗談は話し手が「冗談のつもり」で言うだけでは完成しない。聞き手が笑ったり、言い返したりすることで、初めて「これは私たちの間で許されたからかいです」という意味が共同で作られる。
ところが、私は返事をしなかった。
息子にとっては、 「…あれ? ママ、傷ついた?」 という小さな緊急事態だったのかもしれない。
そこで息子は、 「あっちのバカじゃなくて、おバカの方」 と説明し直した (言語学的に言えば、リペアをした)。
ここで修正しているのは、単語そのものではない。
「今の発話は、あなたを傷つける悪口ではありません」
と、発話の受け取り方を修正しているのである。
もちろん、「お」が付けば失礼さが消えるという文法規則があるわけではない。「おバカ」の柔らかさは、「お」という接頭辞だけに入っているのではない。
「おバカだよ〜」というイントネーション、ふざけた表情、親子という関係、それまでのやりとり。そうしたものが合わさって、「これは親しみのあるからかいです」という意味を作っている。
ことばの丁寧さや失礼さは、単語の中に固定されているのではない。誰が、誰に、どのような関係の中で使うかによって、相互行為の中で決まっていく。

さて、ここで一つ気になる。
カバはバカでよいのか。カバからすれば、非常に不本意であろう。
それでも、この場面の「バカなカバ」が許容されるのは、実在するカバを評価する発話ではなく、「悪い方のバカ」を示すことば遊びのラベルとして使われているからである。特定の誰かのフェイスを直接傷つけているわけではない。
ただし、動物園でカバを目の前にして、
「このカバはバカだ」
と言えば、意味合いは変わってくる。
カバが気にするかどうかはさておき、少なくとも、ことば遊びではなく、目の前の存在に対する評価になるからである。
息子はまだ、「フェイス」もmock impolitenessも知らない。
それでも、相手の沈黙から気持ちを推測し、発話の意図を説明し直し、関係が元に戻ったことを確認している。

子どもは、「丁寧なことば一覧」を覚えるだけでポライトネスを身につけるのではなく、もっと緻密で複雑な作業の中で、言語を身につけているのである。
冗談を言って相手が笑った経験。
少し言いすぎて相手が黙った経験。
「そんなつもりじゃなかった」と説明した経験。
そして、ことばが通じて「ふ〜、よかった」と安心した経験。
そこにあるのは、「正解・不正解」ではなく、日々のやりとりの中で蓄積された、ことばと人間関係に対する理解なのだろう。

参考文献
Brown, P., & Levinson, S. C.(1987)Politeness: Some Universals in Language Usage. Cambridge University Press.