尾﨑(和賀)萌子のホームページ

言語学な育児日記#5 カブトムシと共感力

最近、我が家ではカブトムシ&大クワガタブームが巻き起こっています。

まさか、自分の人生に「昆虫飼育」という項目が追加される日が来るとは…。息子が生まれる前には想像もしていませんでした。

そう、子どもがいる夏=虫のいる夏。全力で。

ここで告白しますが、私、虫が大っ嫌いです(涙)。
小学生のころ、「虫が平気になるかも?」という期待を込めてキャンプに参加したことがあるのですが、夜中に顔サイズの蛾が大量に襲来し、結果として虫嫌いがレベルアップしたというトラウマ付き。

そんな私も、今では…
「ケースから出されたカブトムシくらいなら、ギリ直視できる!」(※触るのはまだ無理)
しかも、最近ではあのつぶらな瞳が愛おしく見えてきた…ような気さえする。…幻覚かな?(笑)

さてさて、本題。数日前の息子との会話。

 

👩「カブトムシのケースに木の皮入れないと、ひっくり返った時に起き上がれないかもよ?」
👶「でも木の皮ないんだよね〜。あっ!幼稚園の木から剥がしてくる!?」
👩「あーそれは木がかわいそうでしょ」
👶「そう?オレ、木の気持ちとかわかんないし」

 

「木がかわいそう」というこの表現、日本語ではよく使われますが、英語圏などではあまり見られません。
英語では “Don’t hurt the tree” とか “That’s bad for the tree” とは言っても、「かわいそう」は出てこない。

なぜなら、「かわいそう」は感情を持たないものに感情を与えることで、共感を育てるという、日本ならではの教育的表現なのです(Clancy, 1986; 1999)。

このような表現は、言語社会化(Ochs & Schieffelin, 1986)という観点からも説明がつきます。
日本では、子どものうちから「他人の気持ちを察すること」が重視されていて、その文化が言葉づかいにも表れているというわけですね。

つまり、私が「木がかわいそう」と言ったのは、ただの感情論ではなく、実は「他者の気持ちを推しはかる」ための練習だったわけです。(言った時は全く意識してなかったけど😅)

一方、息子の「木の気持ちなんてわかんないからさ」は、共感の芽をへし折るような返答にも見えるけれど、見方を変えればとても欧米的で論理的。
……と書くと聞こえはいいけど、要するに「母の地道な教育が届いてない疑惑」が濃厚です(笑)

 

そんなこんなで、今日も我が家のカブトムシたちは元気にゼリーをむさぼっています。
私も「共感力と虫嫌い」のはざまで、なんとかやってます。

 

Clancy, P. M. (1986). The acquisition of communicative style in Japanese. In B.B. Schieffelin & E. Ochs (Eds.), Language socialization across cultures (pp. 213–250). Cambridge University Press.

Clancy, P. M. (1999). The socialization of affect in Japanese mother–child conversation. Journal of Pragmatics31(11), 1397–1421.

Schieffelin, B. B., & Ochs, E. (1986). Language socialization across cultures. Cambridge University Press.