最近、我が家ではカブトムシ&大クワガタブームが巻き起こっています。
まさか、自分の人生に「昆虫飼育」という項目が追加される日が来るとは…。息子が生まれる前には想像もしていませんでした。
そう、子どもがいる夏=虫のいる夏。全力で。
ここで告白しますが、私、虫が大っ嫌いです(涙)。
小学生のころ、「虫が平気になるかも?」という期待を込めてキャンプに参加したことがあるのですが、夜中に顔サイズの蛾が大量に襲来し、結果として虫嫌いがレベルアップしたというトラウマ付き。
そんな私も、今では…
「ケースから出されたカブトムシくらいなら、ギリ直視できる!」(※触るのはまだ無理)
しかも、最近ではあのつぶらな瞳が愛おしく見えてきた…ような気さえする。…幻覚かな?(笑)
さてさて、本題。数日前の息子との会話。
👩「カブトムシのケースに木の皮入れないと、ひっくり返った時に起き上がれないかもよ?」
👶「でも木の皮ないんだよね〜。あっ!幼稚園の木から剥がしてくる!?」
👩「あーそれは木がかわいそうでしょ」
👶「そう?オレ、木の気持ちとかわかんないし」
「木がかわいそう」というこの表現、日本語ではよく使われますが、英語圏などではあまり見られません。
英語では “Don’t hurt the tree” とか “That’s bad for the tree” とは言っても、「かわいそう」は出てこない。
なぜなら、「かわいそう」は感情を持たないものに感情を与えることで、共感を育てるという、日本ならではの教育的表現なのです(Clancy, 1986; 1999)。
このような表現は、言語社会化(Ochs & Schieffelin, 1986)という観点からも説明がつきます。
日本では、子どものうちから「他人の気持ちを察すること」が重視されていて、その文化が言葉づかいにも表れているというわけですね。
つまり、私が「木がかわいそう」と言ったのは、ただの感情論ではなく、実は「他者の気持ちを推しはかる」ための練習だったわけです。(言った時は全く意識してなかったけど😅)
一方、息子の「木の気持ちなんてわかんないからさ」は、共感の芽をへし折るような返答にも見えるけれど、見方を変えればとても欧米的で論理的。
……と書くと聞こえはいいけど、要するに「母の地道な教育が届いてない疑惑」が濃厚です(笑)
そんなこんなで、今日も我が家のカブトムシたちは元気にゼリーをむさぼっています。
私も「共感力と虫嫌い」のはざまで、なんとかやってます。
Clancy, P. M. (1986). The acquisition of communicative style in Japanese. In B.B. Schieffelin & E. Ochs (Eds.), Language socialization across cultures (pp. 213–250). Cambridge University Press.
Clancy, P. M. (1999). The socialization of affect in Japanese mother–child conversation. Journal of Pragmatics, 31(11), 1397–1421.
Schieffelin, B. B., & Ochs, E. (1986). Language socialization across cultures. Cambridge University Press.