息子が生まれてから気づいたことがある。
それは、年々「ノーメイクで繰り出せる行動範囲」が拡大している、ということである。
息子が生まれる前は、「ノーメイクで電車に乗るなんて…せめて眉毛くらい描こう」と思っていた。
ところが今では、新幹線と電車を乗り継ぎ、六本木までも堂々たる姿でノーメイクで出歩けるようになった。
進化なのか退化なのか、単なる怠慢なのかはよくわからないが、少なくとも「人目を気にする」ということの優先順位がここ数年で著しく下がったのは確かである。
そんなノーメイク快適ライフを満喫していたある日、大学教員向けの研修会に参加することになった。
「さすがにノーメイクではまずいか…」と思い、久しぶりに化粧をすることに。
ところが夏休み中のノーメイク生活が長すぎたせいで、化粧の仕方をほぼ忘れている。
さらに薄暗い部屋で慌てて化粧をしたら、なんだかオカメインコのような厚化粧に…。
「ちょっと濃いかな…」とは思ったものの、今さら直す時間もない。
朝ごはんもまだ、息子のお弁当もまだ。うわぁ〜〜〜と焦っていたそのとき、6歳の息子が放った一言。
「え、顔めだりすぎぃぃぃぃwww アハハハハ😆」
やっぱり…目立ちすぎか。
そんなにオカメインコか。6歳児でも気づくレベルなのか!!
慌ててチークを手でゴシゴシ落としながら、ふと思ったのは息子の「めだりすぎ」という言葉のことだった。
「めだりすぎ」– これは立派な言語現象で、専門用語で「過剰一般化」と呼ばれる。
たとえば、子どもはこんなふうに規則を見つける:
読んだ → 読む
飲んだ → 飲む
だから、「死んだ → 死む」になるだろう!と推測し、「カブトムシ、死むの?」なんて言ってしまう。これが過剰一般化。
同じように「連用形+すぎる」という形を学んだ子どもは、
走る → 走りすぎ(る→り)
遊ぶ → 遊びすぎ(ぶ→び)
読む → 読みすぎ(む→み)
書く → 書きすぎ(く→き)
というパターンを見つけ出す。
この規則は「語幹の子音を固定し、母音だけを i に変える」というシステムである。
ここで問題になるのが「つ」で終わる場合だ。
本来なら「t + i」で「ち」になるはずなのだが、ti は mi や ki ほど直感的ではない。
「つぃ」なんてひらがなもないし、聞き慣れない。
そこで、子どもの頭の中では「走りすぎ」「乗りすぎ」「入りすぎ」など高頻度で耳にする「り」系が強く残っていて、「めだりすぎ」という過剰一般化が生まれるわけである。
よく聞かれるのが「こういう間違い、直したほうがいいのか?」という質問。私は無理に直さなくていいと思う。
なぜなら、こうした言い間違いは「子どもが規則を発見し、自分なりに体系化している」証拠だから。
ある程度ことばを理解していなければ、そもそも規則性は見出せない。過剰一般化は言語習得における U字型学習 の典型例でもある(Plunkett & Marchman, 2020)。
だから私は、「あ、やっぱり目立ちすぎ?目立ちすぎか…」と言うだけで十分だと思う。
さりげなく正しい形を混ぜつつ、ゴシゴシとチークを落とし、さっさと朝ごはんの準備をする。個人的にはそれくらいでちょうどいいと思う。
Plunkett, K., & Marchman, V. (2020). U-shaped learning and frequency effects in a multilayered perceptron: Implications for child language acquisition. Connectionist Psychology, 487-526.