尾﨑(和賀)萌子のホームページ

言語学な育児日記#13 天国と地獄

今朝、息子から突然こんな問いを投げかけられた。

👦「ねえママ、地獄ってあると思う?どんな場所かな?」

その瞬間、私の頭には、灼熱の炎に炙られる罪人たちや、金棒を持った鬼といった、いわゆる“お約束”的な地獄のイメージが浮かんだ。
けれど、あえてそれを口にせず、息子自身の考えを聞いてみることにした。

👩「ん〜、どうだろうね。どう思う?」

すると返ってきたのは、想像の斜め上をいく世界観だった(以下、ほぼ発話そのまま)。

👦「んーとね。なんか透明な、雲とかが見えるものがあって、それで赤っぽくて透明の階段があって、それで太陽が見えて、消えるの」
👩「なるほどね〜階段は上にいくの?下に行くの?」
👦「階段は上に行って、神様がいて、もう1回その前で生まれ変わるようにするの」
👩「あ、階段は上るんだ。」
👦「うん。それで階段を上る時には骸骨にちょっとなってて、階段の一番上の時には耳がちょっと残ってるくらいになる」
👩「へ〜〜〜〜。天国はどんなかんじ?」
👦「天国は神社の門みたいなやつがあって、そこの下を通ると赤い階段上って、すぐ天国」
👩「天国はどんな見た目なの?」
👦「ん〜〜〜〜〜なんかそれだけ」
👩「そっか。じゃ天国では家族に会えるかな?」
👦「会えない」
👩「えっそうなの?じゃ地獄は?」
👦「天国も地獄も家族と一緒に死むなら会えるけど、一緒じゃないと会えない」
👩「へ〜〜〜〜〜じゃ先に死んじゃって天国にいる人とは?会えないの?」
👦「うん、会えない」

息子の語りでまず興味深かったのは、
天国は上、地獄は下、という空間的メタファーを持っていないことだ。

私たち大人は、言語や宗教、物語を通して「上=善/下=悪」「上=救済/下=罰」という対応関係を、ほぼ無意識に身につけている。
これは認知言語学的にもよく知られている概念メタファーだ。

けれど息子の世界では、
地獄は「上に向かって進む場所」であり、そこでは罰ではなく、変化と再出発(輪廻転生)が起こる。
つまり彼にとって地獄とは、「悪い人が行く場所」ではなく、いったん解体され、作り直される場なのだ。

もう一つ印象的だったのは、「最後に残るのが耳」という表現だ。
医学的には、心停止後もしばらく聴覚が保たれる可能性があると言われることがあるが、息子がそれを知っているはずもない。
それでも「聞く」という感覚を、存在の最後まで残るものとして直感的に選び取っている点は興味深い。

耳が最後まで残る、という息子の語りは、
「他者とのつながり」や「呼びかけ可能性」が、存在の核にあるという感覚の表れなのかもしれない。

天国や地獄に行っても、家族には会えない。
ただし「一緒に死んだら」会える。
このルールもまた、大人の宗教観とはかなり異なる。

死後の再会を希望として描く物語は多いが、息子の世界では、死後は徹底的に個別化されている。

一般に、愛や平和、死といった抽象概念を安定的に理解できるようになるのは、小学校高学年以降だと言われている(Carey, 2000)。
それ以前の子どもにとって、死とは「意味」ではなく、身体・変化・移動として経験的に解釈されるものなのだろう。
また、親が特定の宗教を信仰していても、5〜10歳の子どもの死生観は必ずしも一致しないという研究もある(Misailidi & Kornilaki, 2015)。
これが正しいとすれば、死生観は社会文化的な教えよりも、認知的・言語的発達の影響を強く受けているのかもしれない。

ちなみに我が家は無宗教で、私自身も天国や地獄の実在は信じていない。
それでも息子は、息子なりの論理とイメージで、意外なほど理にかなった死後の世界を語っていた。

Carey, S. (2000). The origin of concepts. Journal of Cognition and Development1(1), 37-41.

Misailidi, P., & Kornilaki, E. N. (2015). Development of afterlife beliefs in childhood: Relationship to parent beliefs and testimony. Merrill-Palmer Quarterly61(2), 290-318.