最近の息子は、ひらがな練習がちょっとしたブームである。
綺麗に書けると先生に花丸がもらえるので、なるべく丁寧に書いては悦に浸っている。
さて、最近練習していたのは「じ」と「ぢ」。
👦「ねーねー、ぢがつく言葉って何がある?」
👩「鼻血とか、“ぢ”だよ」
👦「やっぱり?! 絶対そうだと思った」
👩「だよね。だって“血”だから、“し”に点々じゃなくて、“ち”に点々なんだよ」
👦「え、いや、ふつーに音が違うよ」
👩「え、“じ”と“ぢ”は一緒だよ」
👦「違うよ。音でわかるもん。“ぢ”は“ぢっっっ!”って感じで、パーンってちょっとするんだよ。“じ”より強いんだよ」
👩「そ、そうなのか……」
そうなのだろうか。
私も音声学は専門ではなく、基礎的な教科書で軽く齧った程度なので、自信満々に語れるわけではない。
しかし、現代標準日本語では、「じ」も「ぢ」も基本的には同じ音とされる。IPAで書けば、どちらも教科書的には [d͡ʑi]である。実際の発音では、語中などで破擦が弱まり、[ʑi]に近く発音されることもあるが、少なくとも「じ」と「ぢ」が別の音として区別されているわけではない。
つまり、現代語としては、「じ」と「ぢ」は同じ発音と考えてよい。
ただし、濁音化する前の音に目を向けると、少し話が面白くなる。
「し」と「ち」は、どちらも無声で、舌の前の方を歯茎から硬口蓋あたりに近づけて出す音である。ただ、音の作り方には違いがある。
「し」は 摩擦音である。
舌で完全にはふさがず、狭いすき間から息を通すことで摩擦を起こして発音する。
一方、「ち」は破擦音である。
最初に舌で一瞬空気の流れを止め、その後すぐに摩擦を出す。つまり、「止めてから、こする」ような音である。
本来、この違いは「し」と「ち」の違いであって、「じ」と「ぢ」の違いではない。
しかし、息子が言う「ぢは、パーンってちょっとする」「じより強い」という感覚は、もしかすると、「ち」がもつ破擦音的なイメージに引っ張られているのかもしれない。
実際には同じ音として発音されているはずなのに、文字として「ち」に点々がついていると、そこに「ち」らしさを感じてしまう。
これは、音そのものの違いというより、文字と音のイメージが混ざり合った、子どもならではの鋭い感覚なのかもしれない。
ここで思い出すのが、音象徴である。
音象徴とは、ことばの音そのものが、なんとなく意味や印象と結びついて感じられる現象のことである。
たとえば、日本語では「ころころ」と聞くと、小さくて丸いものが転がる感じがする。一方で、「ごろごろ」と聞くと、もっと大きくて重いものが転がる感じがする。
「きらきら」は明るく細かく光る感じがするが、「ぎらぎら」は強く、少し不快な光の感じがする。
このように、ことばの意味は本来、音と必然的に結びついているわけではない。
しかし実際には、ある音が特定のイメージを呼び起こすことがある。これが音象徴である。
有名な例に、takete–maluma 実験がある。
これは、ギザギザした図形と丸みのある図形を見せて、どちらが taketeで、どちらが maluma かを選ばせる実験である。多くの人は、鋭く角ばった図形を takete、丸く柔らかい図形を maluma と結びつける。つまり、/t/ や /k/ のような音は鋭く角ばった印象を、/m/ や /l/ のような音は丸く柔らかい印象を与えやすいのである(Köhler, 1947)。
子どもの音象徴については、川原繁人先生がご著書『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』の中で、実に軽快なタッチで書かれている。
くすっと笑いながら、育児にも役立つ音声学の魅力的な話題がたくさん紹介されているので、ぜひご一読いただきたい。
もちろん、「じ」と「ぢ」の場合は少し違う。
音声学的には同じ音である。だから、これをそのまま音象徴の例だと言い切るのは難しい。
それにしても、「じ」と「ぢ」の音象徴と聞き分け能力について、誰か研究してくれないだろうか。
子どもの耳、というより、子どものことばの感覚。
やっぱり侮れない。
参考文献
Köhler, W. (1947). Gestalt Psychology: An Introduction to New Concepts in Modern Psychology. Liveright.
川原繁人(2022)『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』朝日出版社。