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言語学な育児日記#33 7歳児は「噂話」の怖さをどこまでわかっているのか

先日の、息子(7歳)とその友達(同じく7歳)との車の中での会話。

お友達が息子に放ったのは、なかなか衝撃的な一言だった。

「XXはさー、ほんとは[息子]のこと好きじゃないけど、しょうがないから遊んであげてるんだって」

おー。
なかなか辛辣な噂話だ……。

XXとはこれまで何度か一緒に遊んでいて、私もてっきり息子と仲が良いのだと思っていた。大人だったら、なかなかショックを受ける内容である。
しかし、まあ人生山あり谷ありだ。
ショックなことや、つらいことも経験しながら人間関係を学んでいく。それも人間形成の大切な一部なのだろう。ここは親が口を挟む場面ではない。頑張れ、息子よ!
……などと、私の頭の中で壮大な思考がぐるぐると展開していると、息子はこう返した。

「まじで、おわったわー。ていうかさ、最近ベイブレードやってる?」

ん????
かなりライトだぞ??

そうして、つい数秒前までしていた噂話は突風のようにどこかへ飛んでいき、話題はベイブレードへ。
その後も息子がXXの話を蒸し返すことはなく、どうやら本当に気にも留めていない様子だった。親だけが「友情とは」「人間関係とは」などと考えていたらしい。

でも、この会話を聞いていて、言語学的に二つ気になったことがあった。
一つ目は、「人は何歳くらいから噂話をするのだろう?」ということ。
言語を使って、不在の第三者について情報や評価を交換するという行為は、かなり人間らしい社会的行動である。
実際、Dunbar(2004)は、人間の会話では他者や人間関係についての話題が約2/3を占めることを指摘し、噂話には単なる悪口以上に、集団内の情報共有や社会的な結びつきを維持する機能があると論じている。
では、子どもはいつからそんなことを始めるのだろう。
これが意外と早い。Engelmann, Herrmann, and Tomasello(2016)は、3歳児と5歳児を対象に、第三者についての評価情報を他者に伝えるかを調べた。
すると、3歳児ではそのような情報を自発的に伝えることはまだ少なかったのに対し、5歳児になると、他者が「誰と関わるべきか」を判断するのに役立つような評判情報を、自発的に伝えるようになった。
となると、7歳児が車の中で、「XXは、本当は[息子]のこと好きじゃないらしいよ」と伝えていること自体は、発達的にはそれほど驚くことではない。むしろ、まさに「噂話をする生き物」になりつつある年齢なのかもしれない。

もう一つ気になったのが、発話行為(speech act)である。
Searle(1969)は、ことばを話すということは、単に情報を口から出しているだけではなく、ことばによって何らかの行為をしているのだと考えた。
たとえば、「お茶をください」と言えば、相手に対して「お茶を持ってきてほしい」と要求するという行為をしている。「ごめんなさい」と言えば謝罪をしているし、「約束します」と言えば約束という行為をしている。
つまり私たちは、ことばを使って、お願いしたり、謝ったり、約束したり、警告したりしている。
さらに我々はことばを発することで相手に何らかの変化を生じさせることもある。誰かを説得する。安心させる。怒らせる。行動を変えさせる。
こうした、発話によって相手に生じる効果を、発話媒介行為(perlocutionary act)と呼ぶ。

そう考えると、今回のお友達の発言もなかなか興味深い。
「XXは、本当は一緒に遊びたくないらしいよ」という情報を息子に伝えることは、単なる事実の伝達では済まない可能性がある。それを聞いた息子が、「じゃあ、もうXXとは遊ばない」と思うかもしれない。あるいは、その話をさらに別の友達へ伝えるかもしれない。
たった一つの発話が、人の印象を変え、行動を変え、さらには友人関係そのものを変えてしまうことがある。噂話とは、実はかなり強い「行為性」を持ったことばなのである。

ところが今回の息子の場合、「まじで、おわったわー」である。
少なくとも目の前で見ている限り、友人関係を再考するでもなく、XXへの評価を変更するでもない。厳密に言えば、友達が噂を「伝える」という発話行為そのものは成立している。しかし、その発話によって息子の感情や行動、人間関係が変化するという発話媒介的な効果は、ほとんど発生していない。

では、7歳くらいの子どもは、発話が持つこうした複雑な力をどこまで理解しているのだろうか。
まず、比較的単純な間接発話行為(indirect speech act)については、かなり早い時期から理解できることが知られている。
たとえば、「ドアを閉められる?」という発話は、文字通りには「ドアを閉める能力がありますか」という質問である。しかし普通は、「ドアを閉めてください」という依頼として理解される。
Leonard et al.(1978)の研究では、4〜6歳児でもこうした比較的単純な間接的依頼を理解していた。一方で、より複雑なタイプの間接的要求については年齢による差が見られ、6歳頃になって理解できるものもあった。
ただ、今回私が気になったのは、それよりさらに一段階複雑なことだ。
「この人がこんなことを言ったら、聞いた人の中で第三者の評価が変わり、その後の人間関係まで変わる可能性がある」という、発話の社会的な波及効果まで理解しているのだろうか。
ここについても、面白い研究がある。
Hill and Pillow(2006)は、幼稚園児、小学2年生、小学4年生を対象に、「人の評判」がどのように作られるのかを子どもが理解しているかを調べた。
すると、自分自身がその人と接した経験によって評価が作られることは、幼稚園児でも理解していた。ところが、「自分が直接経験していなくても、他人から聞いた噂によって、その人の評判が形成される」ということを明確に理解していたのは、小学2年生以降だった。

7歳というのは、まさにその境目あたりなのである。「XXが君のことを本当は好きじゃないと言っていたよ」という情報そのものは理解できる。噂話をすることもできる。しかし、この一言を相手に伝えることで、XXと息子の関係そのものが変わるかもしれないというところまで、どの程度見通しているかは別問題なのだ。

「噂をすること」と、「噂が人の評判を変えること」と、「その評判が将来の人間関係や自分自身の行動まで変えること」。
この三つは同じではなく、どうやら少しずつ時間をかけて結びついていくらしい。
そう考えると、今回の二人の会話も少し違って見えてくる。
友達は、もう十分に「噂話」をしている。息子も、その意味自体は理解している。けれども二人とも、そのことばが持ち得る社会的な重さを、大人ほどには背負っていないのかもしれない。

今はまだ、「XXは本当は君のこと好きじゃないらしいよ」と言われても、「まじで、おわったわー」で済んでいる息子。
そのうち、ことばの裏にある意図を読み、そのことばによって人間関係が動くことを知り、自分の一言が誰かの気持ちや評判を変えてしまうことも知っていくのだろう。
きっとその過程では、今よりずっと傷つくこともある。けれど、それもまた、人間らしい社会性を身につけていくということなのだと思う。
どうか心豊かに。
うれしいことも、悔しいことも、傷つくことも経験しながら、それでも人と関わることを嫌いにならず、しなやかに、打たれ強くなっていってほしい。

……とはいえ今のところ、本人にとっては人間関係よりベイブレードの方がよほど重要らしい。
それくらいで、ちょうどいいのかもしれない。

参考文献
Dunbar, R. I. M. (2004). Gossip in evolutionary perspective. Review of General Psychology, 8(2), 100–110.
Engelmann, J. M., Herrmann, E., & Tomasello, M. (2016). Preschoolers affect others’ reputations through prosocial gossip. British Journal of Developmental Psychology, 34(3), 447–460.
Hill, V., & Pillow, B. H. (2006). Children’s understanding of reputations. The Journal of Genetic Psychology, 167(2), 137–157.
Leonard, L. B., Wilcox, M. J., Fulmer, K. C., & Davis, G. A. (1978). Understanding indirect requests: An investigation of children’s comprehension of pragmatic meanings. Journal of Speech and Hearing Research, 21(3), 528–537.
Searle, J. R. (1969). Speech acts: An essay in the philosophy of language. Cambridge University Press.