尾﨑(和賀)萌子のホームページ

Moeko Waga Ozaki

I study conversations between Japanese and American parents and children through the lenses of sociolinguistics, English linguistics, contrastive linguistics, and language socialization.
My research focuses on why children’s speech and values change based on their environment and culture, and how adult-child communication varies across cultures.

I’m also navigating the challenges of raising my own preschooler!

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私は大学で英語や言語学を教えている。 授業の冒頭には、恒例の「Q&Aコーナー」がある。授業内容に関係あってもなくてもOK、学生が匿名で投げた質問の中から、毎回いくつかをランダムに拾って答えるというものだ。そんなQ&Aで、どの授業でも必ず出てくる鉄板質問がある。 「お子さんはバイリンガルにしたいですか?」 英語教師で、言語学者で、本人もバイリンガル。学生としては、ここは当然「YES」を期待しているはずだ。 しかし私の答えは「NO, but maybe」である。 すると、それまで机に顔をうずめていた学生が、だいたいこのタイミングで顔を上げる。 なぜ「ぜひバイリンガルに!」と思わないのか。理由は大きく分けて三つある。 1. バイリンガルになること自体より、「維持」がとにかく大変 2. 息子には、今のところその努力をしたいモチベーションがない 3. やりたいと思ったときにやればいい、と思っている まず最初に、誤解のないように言っておきたい。 私は英語教育を否定しているわけでも、早期教育やイマージョン教育に否定的なわけでもない。子どもも教育も本当にさまざまで、「これが正解」という一つの答えはないと思っている。ここで書くのはあくまで、「私個人が自分の家でどうしているか」という、かなり個人的な話だ。 さて、理由を一つずつ順番にみていきたいと思う。 理由①:バイリンガルはなってからがしんどい 私は幼少期をアメリカで過ごした。おかげで、気づいたときには英語を話していた。これは本当にラッキーだったと思う。 ……ただし、問題はそこからだった。 日本に帰国すれば、当然、英語は少しずつ抜けていく。人間の忘却力は想像以上に強力で、どれだけ刷り込まれた言語でも、油断すると指の間から砂のようにこぼれ落ちる。 よく、「忘れても、また思い出せるでしょ?」と言われる。いや、問題はそこじゃない。 英語という言語は、私の場合、アイデンティティと強く結びついている。日本語で話す私と、英語で話す私では、性格が微妙に…いや、けっこう違う。 だから英語を忘れるというのは、単語を忘れること以上に、自分の性格の一部へのアクセス権を失う感覚に近い。 結果どうなるかというと、英語を忘れるのが怖くなる。忘却に抗うため、日常生活で必死に英語に触れ続ける。 そして少しでも「出てこない単語」があると、謎の喪失感に襲われる。 正直に言うと、このプレッシャーは結構重い。 「英語が話せるからこその贅沢な悩みでしょ」と言われることも多い。それも分かる。分かるけど。 毎日、日本で日本語だけで生きていても、「英語を維持しなきゃ」という見えない枷は、思っている以上にずっしりしている。この重さを、息子に背負わせたいか?と聞かれたら、私は即答できない。 理由②:やる気が、ほぼゼロ 息子はイマージョン教育をしている幼稚園に通っている。入園を決めた理由は、いきなり「科目」として英語に触れるよりも、自然に文字通り「イマージョン(没入)」された方が、英語を好きになれる可能性が高いのではないか、と思ったからである。そういうわけで、英語に触れる機会は、世間的に見ればかなり多い。 しかし、最近の息子の発言をここで紹介したいと思う。 「今日、英語の日か〜。いやだな〜」 「英語覚えるのめんどくさい」 「日本語のほうが好き」 「(英語の日の前日)僕お熱あると思う」 ……はい。 ここで登場するのが、モチベーション理論である(鹿毛, 2012)。 ...
年末になると、なぜか我が家は毎年あらゆる菌とウイルスにやられます。 今年も例外ではなく、 11月下旬に私が肺炎 → 2週間後に息子が原因不明の発熱 → さらに2週間後に夫がインフルエンザ。 急な予定変更や看病が続く中、学期末に向けて仕事と授業準備は加速。 正直、ママはもう限界でした。 それでもなんとか今年も綱渡り生活を完走。気分は「イカゲーム(育児編)」です。 来年もなんとか生き残りたい所存です。 そんな師走。 ママ業・妻業・家族専属秘書・家族専属看護師・教師を同時進行していると、当然のようにミスも起きます。 …という、長い前置きはすべて、 先日、息子の上履きを幼稚園に持っていくのを忘れた言い訳です(笑)。 寝坊 → ドタバタで朝支度 → 幼稚園へ。 到着して、息子のカバンから上履きを出そうとした瞬間、 ……ない。 「ごめーん。今日は職員室で借りて……」 そう言うと、息子が一言。 「しっかりしなさ〜い!僕は6歳でママは34歳なのに〜!ママの方が年上なのに〜!しっかりしなさ〜い!」 (ちなみに「34歳」は会話分析的に言えば、【↑さんっ(.)じゅ::(.)↑よんっさいっ】というスーパー強調付きでした) ……怒られました。 いや、それあなたの上履きだからね? 年長なんだし、自分で管理してもいいんじゃない? という話はさておき。 ここで私の脳内に、例の言語学アラームが「ピコーン」と鳴ります。 というわけで、年内最後の投稿は、私の研究ど真ん中の話で締めたいと思います。 私たちはつい、「年上なんだからしっかりして」と考えがちですが、年齢をどれだけ重視するかは文化によって大きく異なります。 年功序列を強く意識する文化もあれば、そうでない文化もある。その違いは、ことばの使い方にも表れます(メイヤー, 2015)。 息子の発言をもう一度見てみましょう。 「僕は6歳で、ママは34歳なのに!」 ここには、こんな前提があるはずです。 ママ=年上=expert(熟達者) 自分=6歳=novice(初心者) ...
先日、新しいボードゲームが我が家に届きました。 箱を開けた瞬間から私はワクワク。 「早く見せたい!」という気持ちを抑えきれず、 👩「ねーねー、これ見てみて!(わくわく)」 と6歳の息子に声をかけたところ、 👦「(テレビを見ながら)あとで見せて〜」 ……あ、はい。 ベイブレードのアニメ、強い。 すると息子、追い打ちをかけるように、 👦「また後で教えて!後で見せてね」 👩「はい、わかりました……」 この瞬間、 ボードゲームよりもベイブレードが優先された悲しみが、胸をよぎりました。 が!! それよりも!! 「あ、息子がネガティブ・ポライトネス身につけてるっっ🤩🤩🤩🤩」 という興奮が、悲しみを一瞬で上回ったのです。 やんわり断る力は、実はかなり高度です。 「今は無理」と言うだけなら簡単です。 でも息子は、私の気持ちを気にかけ、「あとで教えてね」と完全拒否はしない、というかなり高度な断り方をしていました。 このように、相手の気持ちや立場をなるべく傷つけないようにしながら断ることを、言語学では ネガティブ・ポライトネス(negative politeness) と呼びます。 人は会話をするとき、実はいつも2つの気持ちのあいだで揺れています(Brown & Levinson, 1987)。 ひとつ目は、消極的な面目(negative face)。 別名「独立の面目」とも呼ばれ、1人でいたい、自分で決めたい、今は干渉されたくないといった、「放っておいてほしい」という気持ちです。 もうひとつは、積極的な面目(positive face)。こちらは「連帯の面目」とも言われ、褒められたい、仲良くしたい、嫌われたくない、といった、「つながっていたい」という気持ちです。 今回の場面でいうと、 「今はテレビを見たい」→ ① 独立の面目 「ママを無下にしたくない」→ ② 連帯の面目 ...
友人の子どもが1歳くらいで、最近自我がぐんぐん芽生えてきている。その子が今日、お母さんに抱っこされながら海老反りで大泣きしているのを見て、ふと思った。 あー、あの時期は本当に大変だったな、と。 思い返すと、修士の入学試験が終わった直後に妊娠がわかり、入学して2ヶ月で出産した。それからは育児と学業の両立が予想以上にハードで、産後数ヶ月の記憶は断片的にしか残っていない。 そして、そのわずかな断片は、どれも母としての至らなさが胸に刺さる瞬間ばかり。 夜泣きに疲れ果て、ベビーベッドで泣く息子を前に放心した深夜2時。 授乳がうまくいかず、検索魔と化した日。 息子が寝ている隙にレポートや論文を書いて提出するも納得できる仕上がりにはならず、育児も学業も中途半端だと自己嫌悪に陥った日。 そして、どうしようもない気持ちのまま息子にきつく叱ってしまったときは、いつも必ずこう思っていた。 「あぁ、これで一生の傷になってしまったらどうしよう」 今思えば立派な育児ノイローゼである(その後、産後うつに発展した)。 今日、夕飯を食べながらふと気になった。あれほど心配していた“心の傷”、実際残っているのだろうか?というわけで、本人に聞いてみた。 私「いっっちばんむかーーしの記憶って、いつ頃の?」 息子「え、年少のとき?」 私「もっともっと前でもいいよ」 息子「○○保育園でトミカで遊んでた、たしか」 私「うんうん、他には?」 息子「ママのお弁当がぐちゃぐちゃで、デザートなくて、野菜いっぱいだった」 私「……うん。他には?昔マンション住んでたの覚えてる?」 息子「え、そうなの?前の白い家は外は覚えてるけど、中は忘れちゃった」 トミカの記憶も、ぐちゃぐちゃ弁当の記憶も、白い家の記憶も、全部3歳の頃のもの。3歳以前(マンション時代)の記憶は、まっさら。綺麗に消えている。 調べてみると、長期記憶が本格的に働き始めるのはおおよそ3歳頃らしい。まさに教科書どおり。 記憶には複数の要素が必要になる。脳科学的には、海馬(記憶の保持・固定)や前頭前皮質(記憶や情報の整理・想起)の発達が必要である。 乳幼児期にも記憶の回路自体はあるが、まだ成人のように機能しないため、長期的に残らない。 さらに3歳頃になると脳の成熟に加え、「心の理論」(他者と自分の感情や視点を区別できる能力)が発達し、自分の体験を自分のこととして理解する力が強まる。これは記憶保持に重要な役割を果たす(Howe, 2024)。 じゃあ小さい子どもはまったく覚えないのか、といわれればそういうわけではない。ただし、長期記憶として残す仕組み、記憶の強度、記憶の引き出しやすさが段階的に育ち、本格的に残り始めるのは2〜3歳頃である(Bauer, 2007)。 ちなみに、文化によって記憶の傾向が異なることも知られており、同じ出来事でも何をどう覚えるかは環境に影響される。(この話は長くなるのでまた別の機会に。) 改めて、人間は本当によくできているな、と思った。 考えてみれば、仕事もそうだ。新人のときは何もできず、3年経ってようやく慣れる。育児も同じで、子どもが生後1日なら、母親もママ1日目。出産した途端に天から母性が降ってくると思っていたが、私の場合、そんなことはなかった。即戦力は何一つない、ただの無力な新人ママであった。 そして3年くらい経った頃に、やっと「育児って楽しいかも」と思えるようになった。その頃ちょうど、子どもの記憶にも残り始める。 だからこそ、それまでの母としての葛藤や失敗は、きれいに忘れてくれる。これって、ものすごく救いのある仕組みではないだろうか。 修士1年、育児と学業に溺れそうだったあの頃の私がこれを知っていたら、もう少し肩の力を抜けていたのかもしれない。そんなことを思った秋の夜。 参考文献 Bauer, P. J. (2007). Remembering the ...
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