尾﨑(和賀)萌子のホームページ

Moeko Waga Ozaki

I study conversations between Japanese and American parents and children through the lenses of sociolinguistics, English linguistics, contrastive linguistics, and language socialization.
My research focuses on why children’s speech and values change based on their environment and culture, and how adult-child communication varies across cultures.

I’m also navigating the challenges of raising my own preschooler!

What's new

前回の続きです。 追い詰められた末に調べてみたところ、なんと湯河原に「原稿執筆プラン」なる、あまりにもこちらの需要にぴったりすぎる宿があるではないか。 ということで、最後の追い込みをかけるべく、我々はその宿へ向かった。 そして、ろくに風呂にも入らず、毎日同じジャージに身を包み、朝から晩まで4日間、ひたすら論文を書き続けた。 ↑決戦開始直前 ちなみにこの宿、執筆しているその場に三食を提供してくれるので、トイレ以外、一歩も動かずに博論に専念できる。 しかも、一日のはじめに「今日はどれくらい執筆するか」を宣言し、夜ご飯までに達成できなかった場合、その夜はアルコールが飲めない、というシステムまである。 「まあ、そうはいっても、なんだかんだアルコールメニューも出してくれるでしょ〜」 と思っていたら、達成できなかった日は本当にソフトドリンクしか提供されなかった。 俄然、やる気が出る。 なお余談だが、同じ宿には大学生っぽいメンズ数人のグループも泊まっていた。初日はちらちらこちらを見ていたのに、最終日には一瞥すらされなくなっていた。ろくに風呂にも入っていなさそうな女二人を不潔に思ったのか、それとも近寄ってはいけないタイプの殺気を察したのかはわからない。ただ、女として何か大事なものを失っていった気はする。 しかし、こちらにはそんなことを気にしている余裕などなかった。女子力と引き換えに、我々は着実に文字数を積み上げていったのである。 ↑端っこで丸まってるのが私。映えるのは空間のみである。 こうして井上先生をはじめとした数多の先生方のサポート、ゼミ生のサポート、旅館の方々のサポート、家族のサポート、戦輩のサポートを受けながら、なんとか3月27日、締め切りまで1週間を切った状態で書き上げることができたのである。 なお、この頃には、パソコンを開くと咳が止まらなくなり、パソコンを閉じると咳がぴたりと止まる、という謎の症状に悩まされていた。 心身ともにここまで疲弊したのは、人生で初めてだった。 そして、書き上げたあとの開放感は格別…かというと、そうでもない。 待っているのは、原稿校正(30万円)と製本(3万円)、さらに審査である。 書き上がりホヤホヤの博論を携えて山奥から無事に下山した私と戦輩は、一旦放心し、釣れないことで有名な堤防で魚釣りをし、カフェでぼーっとし、そして記念の指輪を作った。 カップルだらけの熱海の工房で、黙々と指輪を作ったあと、 店員さん「刻印はどうしますか? 記念日やお互いの名前を入れる方が多いです♡」 私「そうですね……PHINALLY DONEでお願いします」(Ph.D.とfinallyをかけて) 店員さん「……え?」 というやり取りをさせてしまった店員さんには、実に申し訳ない。 かくして、私の博論執筆はひと段落した。 言語学の理論に爪痕を残せるような大層なものが書けた自信はない。けれど、体力的にも、精神的にも、知識的にも、その時の自分が持っているものをすべて使い切って書き上げたことだけは確かである。 これから博論を書く予定の方々には、最大限のエールを送りたい。 そして「もう書けない!」と思ったら、ぜひご連絡いただきたい。その辛さを全て受け止めた上で、一旦放心するのにおすすめのスポットをご紹介しよう。 〜完〜 ...
前回に続き、大学院生活の回顧録です。 博論は1回では語り切れないので、2回に分けてお届けします。 博士課程は、それはもう楽しかった。 運よく高額の競争的資金を獲得できたり、それを活用して海外学会に参加したり、インパクトファクターの高いジャーナルに投稿してみたり(そして見事に落ちてみたり)、前半は楽しいことづくめだった。 修士課程の頃ほど授業も詰まっておらず、時間の融通が利きやすかったこともあり、育児との両立もしやすかった。大学で非常勤として英語を教え、研究をし、育児をし、という生活にも慣れきて、まさに順風満帆そのもの。 しかし、博士課程がそんな激甘パラダイスなわけがない。 そう、あの存在を忘れてはいけない。 ★ 博 ★ 士 ★ 論 ★ 文 ★ まずは、博士論文の何が大変なのか、ざっとおさらいしておこう。 第一に、書く分量が修士論文の2〜3倍ある。 単純に、書く量がめちゃくちゃ多いのである。 さらに、ただ「データを集めました、分析しました、それっぽいことを言いました」では済まない。学術的に何か新しい発見をし、それを分野の理論に還元しなければならない。 しかし何を隠そう、私はつい数年前まで言語学の「げ」の字も知らなかったような人間である。 しかも、ピシッとしたスーツや仕事のできそうな服はクローゼットの奥に追いやられ、日々の装いは育児特化型の戦闘服―スニーカー、UNIQLOの履き古した下着、UNIQLOのズボン、UNIQLOの (以下略)、という有様である。 そんな人間に、学術的な爪痕を残すようなものを、一体どうやって生み出せというのか。 しかも、博士論文は誰でもすぐに書けるわけではない。 大学によって事情は異なるだろうが、慶應の文学研究科(英米)の場合、まず研究を積み重ね、ゼミで発表を重ね、国内外の学会で発表をして、査読付論文を書き、「なんとなく博論、書けそう…かも?」という段階になったら、ゼミの先生と相談する。相談の結果、「よし、書いてみよう」となったら、まず博論のうちの1章と全体構成を書いて提出する。 その提出書類一式をもとに挑むのが、candidacy(キャンディダシー)という面接である。 面接では、冷や汗をかきながら、これから書く予定の論文について先生方からあれこれ問われる。 研究のプロ集団の前では、ごまかしは一切効かない。 化けの皮をすべて剥がされ、真っ裸にされる気分である。もはや、調理場に運ばれる前の、羽をむしられたニワトリである。 その後、合否が言い渡され、合格した者にのみ、ようやく博論を書く資格が与えられる。 そして博論をすべて書き終えたら、主査の先生と副査の先生方との口頭諮問が待っている。真っ裸PART2である。 そこも無事通過できたら、教授会で審議にかけられ、さらにそこも通過して、ようやく博士号が授与されるのである。 さて、上ではさらっと「博論をすべて執筆し終えたら」などと書いてしまったが、この一行には筆舌に尽くしがたい苦しみが詰まっている。 まず、書いても書いても終わらない。 本当に終わらない。 ありとあらゆる隙間時間を、すべて博論に捧げる日々が始まった。 寝ても起きても、ずっと博論に支配される。 しかも、こういう時に限って家族の誰かが体調を崩すのである。 当時の私の狂気のつぶやきをご覧いただきたい。 ...
前回の続き。 「他学部卒業でまともに修了した一人目」になれたのかどうかはわからないが(詳しくは#18)、とりあえず無事に修士号は取得できた。 となれば、中高時代からの夢だった教職に就くべく、いよいよ就活を…するはずだった。 ところが、ここで予想外のことが起きた。 不真面目の代名詞のようだった私に、まさかの天変地異が起こり、研究が楽しくなってしまったのである。 時は少し(だいぶ)遡る。 私は4歳でアメリカに渡り、現地校に通っていたのだが、割と本気で自分はアメリカ人だと思っていた。だから11歳で帰国し、日本の小学校に編入したときは、ありとあらゆるものがカルチャーショックだった。 たとえば、国語の「この場面での登場人物の感情を40字以内で書きなさい」という問題。 これがなんとも不思議だった。相手の感情、それも本の中に出てくる架空の人物の感情なんて、わかるはずがない。しかもそれを40字以内にまとめろとはどういうことなのか。そもそも「40字以内」という、絶妙に中途半端な制約は何なのだ。 他にも些細なカルチャーショックはたくさんあった。 私が日本の小学校に編入したのは6年生のときだったのだが、当時、クラスの女子の間では「プロフィール帳」なるものが流行っていた。A5サイズほどのバインダーにかわいいプロフィール用紙がたくさん綴じられていて、それをクラスメイトに渡して記入してもらうのである。 ところが、このプロフィール帳の記入にも大いに困った。 「わたしの名前は__________で、星座は________座! 性格は__________かな? しゅみは________で、特技は__________だよ! みんなには___________に似てるって言われるよ!! チャームポイントは_________だよ♡」 だいたいそんな感じの内容なのだが、そもそもアメリカ育ちなので星座がわからない。 まあ、それは調べればよいとして、ほかの項目は一体何を書けばよいのだろうか。特技= special skillとは一体何なのか。 自分が今まで知らなかっただけで、実はみんな手のひらからファイヤーとか、なんか特別なスキルを持ち合わせているのだろうか。 特に「チャームポイント」が何を指すのか、さっぱりわからなかった。 「わからない」と書くのも違う気がしたので、色々と考えた結果、 チャーム (charm)=ブレスレットなどのアクセサリー ポイント (point)=つける箇所 という意味だと解釈し、アクセサリーをつけたい体の部位のことだろう、と推測した。 というわけで、もらった用紙のチャームポイント欄には「ぜんぶ」と書いた。 その結果、一部の女子から反感を買った(そりゃそうである)。 その後、チャームポイントの本当の意味は心優しい同級生から教えてもらったのだが、それでも何を書けば良いのか、いまいちわからない。 どうやら、目とか口とか、そういう本質的すぎるチャームポイントを書いてはいけないらしい。 「左手の小指」とか「ほくろ」とか、そういう辺縁的なサムシングを書くのが正解だったようだ。 日本語は難しい。 話を戻そう。 言語学は、こうした私の長年のモヤモヤに説明を与えてくれた。小学生の頃からずっと引っかかっていた文化差や言語差には、すでに理論とデータによる分析が積み重ねられていた。そして同時に、まだわかっていないことも山ほどあるのだと知った。 なんて楽しいのだろう。 その営みのほんの一端にでも自分が関われるかもしれないと思うと、ロマンを感じずにはいられなかった。 しかし、学業に関しては自分が筋金入りの不真面目であったことに変わりはない。そもそも最初から院進を考えていたわけでもない。そんなやつが、ちょっと修士課程で勉強して楽しくなっちゃったからって、急に博士に進学するなんて調子が良すぎるのではないか。 ...
言語学な育児日記と言いつつ、ここまでの回顧録はちっとも言語学でも育児でもないじゃないか、と思われるかもしれない。 ご安心ください。この回から、ようやく大学院と子育てが登場します。 さて、大学院入試に向けて猛勉強していた頃、私は同時に不妊治療もしていた。 不妊治療はこの時点ですでに2年近く続けており、体外受精にステップアップすべきかどうか、という時期だった。 しかし前回書いたように、私は一度「やりたい!」と思うと、やらずには気が済まない性格である。 万が一妊娠したら大学院はどうするのか、などということはまったく考えず、不妊治療と大学院受験の勉強を同時並行で進めていた。 そして迎えた大学院の合格発表。 言語学の辞典を数冊、ほぼ丸ごと暗記するなどの猛勉強の甲斐あって、なんとか合格することができた。 なお、面接では「英語、何点くらい取れたと思う?」と聞かれたが、自分ではけっこうできた感覚があったので、 「80点くらい……ですかね」 と答えたところ、 「え、そんなにできてると思ってるの? ふ〜ん」 と言われ、自分をその場で土に埋めたくなった。 そしてその後、1か月も経たないうちに妊娠が判明。 妊娠がわかって間もなく、つわりが始まった。私は吐きづわりタイプで、朝から晩まで、ひたすら吐き続けていた。 大学院の合格から入学までの間、少しでも言語学の知識を増やそうと、先生方の許可をいただいて学部の授業を聴講していたのだが、そもそも大学にたどり着くまでが一苦労である。ヘンゼルとグレーテルかのように、そこらじゅうにマーキングしながらでないと学校に着けない。 毎朝、 まずはあの垣根で… 次はあそこの排水溝で… 次はあそこの木の下で… と、自らの痕跡を残しながら大学へ向かった。 なんとか教室にたどり着いても、わずかな空気の揺れですら吐き気を催し、すぐにトイレへ駆け込む日々。当然、授業内容はまったく頭に入らない。 この頃、大学院のゼミの飲み会にも誘っていただき、参加した。 ただ、初対面の皆さんの前で吐き散らかすのだけは絶対に避けたい。そう思って、私はひたすら口を閉じ、話すときもできるだけ鼻呼吸で乗り切っていた。 その結果、あとから知ったのだが、 「めちゃくちゃ寡黙でおとなしい人が入ってきた」 と、ずいぶん心配されていたらしい。 後にも先にも、「寡黙でおとなしい」と言われたのはこのときが最初で最後である。 そうして、相変わらず言語学の知識はゼロに近いまま4月に正式入学したのだが、その頃にはすでに妊娠7か月になっていた。 つわりで13キロ痩せた体重は、その後23キロ増え、差し引きプラス10キロ。 重い体を引きずりながら大学で授業を受けていた、ある月曜日のことである。 「ん…なんだかお腹が痛いような…?」 と思いながら授業を受けていたら、本当に痛くなってきた。 結局その日は入院になったものの生まれず、いったん帰宅し、その3日後に出産した。 出産自体は非常にスムーズで、陣痛開始から出産までは13時間、入院してからはわずか4時間というスピード出産だった。 しかし途中で私のメンタルと痛み耐性がきれいに決壊し、当初はまったく予定していなかった無痛分娩に(ほぼ泣き落としの勢いで)変更した。 ところが案の定、途中からなので麻酔の効きが悪い。 麻酔が全身に回るようにと、助産師さんから「分娩台の上で左右にゴロゴロ動いてください」と指示される。 分娩台の上で必死に転がる自分の姿は、まるで陸に打ち上げられたセイウチである。 ...