尾﨑(和賀)萌子のホームページ

Moeko Waga Ozaki

I study conversations between Japanese and American parents and children through the lenses of sociolinguistics, English linguistics, contrastive linguistics, and language socialization.
My research focuses on why children’s speech and values change based on their environment and culture, and how adult-child communication varies across cultures.

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先日の、息子(7歳)とその友達(同じく7歳)との車の中での会話。 お友達が息子に放ったのは、なかなか衝撃的な一言だった。 「XXはさー、ほんとは[息子]のこと好きじゃないけど、しょうがないから遊んであげてるんだって」 おー。 なかなか辛辣な噂話だ……。 XXとはこれまで何度か一緒に遊んでいて、私もてっきり息子と仲が良いのだと思っていた。大人だったら、なかなかショックを受ける内容である。 しかし、まあ人生山あり谷ありだ。 ショックなことや、つらいことも経験しながら人間関係を学んでいく。それも人間形成の大切な一部なのだろう。ここは親が口を挟む場面ではない。頑張れ、息子よ! ……などと、私の頭の中で壮大な思考がぐるぐると展開していると、息子はこう返した。 「まじで、おわったわー。ていうかさ、最近ベイブレードやってる?」 ん???? かなりライトだぞ?? そうして、つい数秒前までしていた噂話は突風のようにどこかへ飛んでいき、話題はベイブレードへ。 その後も息子がXXの話を蒸し返すことはなく、どうやら本当に気にも留めていない様子だった。親だけが「友情とは」「人間関係とは」などと考えていたらしい。 でも、この会話を聞いていて、言語学的に二つ気になったことがあった。 一つ目は、「人は何歳くらいから噂話をするのだろう?」ということ。 言語を使って、不在の第三者について情報や評価を交換するという行為は、かなり人間らしい社会的行動である。 実際、Dunbar(2004)は、人間の会話では他者や人間関係についての話題が約2/3を占めることを指摘し、噂話には単なる悪口以上に、集団内の情報共有や社会的な結びつきを維持する機能があると論じている。 では、子どもはいつからそんなことを始めるのだろう。 これが意外と早い。Engelmann, Herrmann, and Tomasello(2016)は、3歳児と5歳児を対象に、第三者についての評価情報を他者に伝えるかを調べた。 すると、3歳児ではそのような情報を自発的に伝えることはまだ少なかったのに対し、5歳児になると、他者が「誰と関わるべきか」を判断するのに役立つような評判情報を、自発的に伝えるようになった。 となると、7歳児が車の中で、「XXは、本当は[息子]のこと好きじゃないらしいよ」と伝えていること自体は、発達的にはそれほど驚くことではない。むしろ、まさに「噂話をする生き物」になりつつある年齢なのかもしれない。 もう一つ気になったのが、発話行為(speech act)である。 Searle(1969)は、ことばを話すということは、単に情報を口から出しているだけではなく、ことばによって何らかの行為をしているのだと考えた。 たとえば、「お茶をください」と言えば、相手に対して「お茶を持ってきてほしい」と要求するという行為をしている。「ごめんなさい」と言えば謝罪をしているし、「約束します」と言えば約束という行為をしている。 つまり私たちは、ことばを使って、お願いしたり、謝ったり、約束したり、警告したりしている。 さらに我々はことばを発することで相手に何らかの変化を生じさせることもある。誰かを説得する。安心させる。怒らせる。行動を変えさせる。 こうした、発話によって相手に生じる効果を、発話媒介行為(perlocutionary act)と呼ぶ。 そう考えると、今回のお友達の発言もなかなか興味深い。 「XXは、本当は一緒に遊びたくないらしいよ」という情報を息子に伝えることは、単なる事実の伝達では済まない可能性がある。それを聞いた息子が、「じゃあ、もうXXとは遊ばない」と思うかもしれない。あるいは、その話をさらに別の友達へ伝えるかもしれない。 たった一つの発話が、人の印象を変え、行動を変え、さらには友人関係そのものを変えてしまうことがある。噂話とは、実はかなり強い「行為性」を持ったことばなのである。 ところが今回の息子の場合、「まじで、おわったわー」である。 少なくとも目の前で見ている限り、友人関係を再考するでもなく、XXへの評価を変更するでもない。厳密に言えば、友達が噂を「伝える」という発話行為そのものは成立している。しかし、その発話によって息子の感情や行動、人間関係が変化するという発話媒介的な効果は、ほとんど発生していない。 では、7歳くらいの子どもは、発話が持つこうした複雑な力をどこまで理解しているのだろうか。 まず、比較的単純な間接発話行為(indirect ...
先日、7歳の息子がなんとなく不機嫌そうにしていた。 返事は短い。口調も少し強い。こちらが話しかけても、むすっとしている。 そこで私は、半ば冗談まじりに言った。 「なんだか、ご機嫌斜めだなー」 すると息子は間髪入れずに、 「違う、まっすぐ!💢」 思わず笑ってしまったら、畳み掛けるように 「おもしろくない💢」 とさらに怒られる羽目に。 はいはい。 大人にとって「ご機嫌斜め」は、「不機嫌である」という意味の慣用表現である。私たちはふだん、「ご機嫌」と「斜め」を一語ずつ分解して理解してはいない。 ところが息子は、そこをあえて分解した。 「斜め」を、気分の状態を表す比喩ではなく、物の向きや姿勢を表す言葉として取り直したのである。そして、「自分は斜めではない、まっすぐだ」と訂正した。 慣用句は、本来なら字面どおりには解釈しない表現だ。「腹が立つ」と聞いて、本当にお腹が立ち上がる場面を想像する人はいない。「頭が切れる」も、頭部が刃物のように切断能力をもつという意味ではない。 しかし子どもは、ときどきこうした固定表現の意味をいったん外し、構成する語の本来の意味をよみがえらせる。慣用句の理解には、表現への親しみや会話の文脈が大きく関わることが知られている(Levorato & Cacciari, 1992)。「ご機嫌斜め」に対する「まっすぐ!」は、その鮮やかな例である。 ただし、ここで大事なのは、息子が本当に「ご機嫌斜め」の意味を知らなかったとは限らないことだ。むしろ、「ママは自分を不機嫌だと言っている」と理解したうえで、あえて「斜め」の部分だけを字義どおりに取り上げた可能性が高い。 子どもの慣用句や比喩の理解は、ある年齢で急に完成するものではない。表現へのなじみ、会話の文脈、読書経験、そしてその子自身の言葉への関心などによって、少しずつ育っていく。 学齢期以降は、語彙や文法だけでなく、比喩、慣用句、皮肉など、字面だけでは捉えきれない言葉の理解が発達していく時期でもある(Nippold, 2007)。また、慣用句の理解には年齢による変化がみられる一方で、表現の透明性や親しみやすさも影響することが、複数の言語を対象とした研究で示されている(Vulchanova et al., 2011)。 そしてさらに面白いのは、慣用的な意味を理解するだけでなく、慣用的な意味と字義的な意味を行き来して遊べるようになることである。 「ご機嫌斜め」は不機嫌という意味だと分かる。 でも、「斜め」だけを取り出せば、方向の話としても使える。 だから、「違う、まっすぐ!」というツッコミが成立する。 これは、言葉をただ使うだけでなく、「この言葉はどういう仕組みになっているのだろう」と少し距離を置いて眺める力、すなわちメタ言語的意識の表れでもある。 つまり、「違う、まっすぐ!💢」は単なる言い間違いではない。 大人の慣用句を理解し、その比喩性をわざと外し、字義的な意味に戻してツッコミを入れる。そして、自分の感情を他者に決めつけられることには、小さく抵抗する。 不機嫌そうな顔をしていても、ことばは案外まっすぐである。 参考文献 Levorato, M. C., & Cacciari, C ...
最近の7歳息子の不思議発言の一つ。 「カレーライスはご飯にライスをかける」 何度聞いても、ご飯にかけるのはカレーではなく、ライスらしい。 それでは白米の上に白米を重ねただけである。カレーライスというより、ライスライスである。 しかし、本人がこれほど自信を持って言い張るのなら、単なる言い間違いではないのだろう。 大人にとって、「カレーライス」は比較的分かりやすい複合語である。 カレー + ライス という二つの要素に分けられ、「ライスにカレーをかけた料理」と理解される。 だから、「ご飯に何をかけるの?」と聞かれれば、「カレー」と答えるのが当然である。 けれど、息子が「カレーライス」ということばを、同じように分解して理解しているとは限らない。 息子にとっての「カレーライス」は、「カレー」と「ライス」を組み合わせて作ったことばというより、最初から一つの料理を指す、ひとかたまりの名前なのかもしれない。 用法基盤モデルでは、子どもは最初からことばを抽象的な文法規則に分解して覚えるのではなく、実際に耳にした表現を、ある程度まとまりのある形で習得していくと考える(Tomasello, 2003)。 「カレーライス」も、息子にとっては「カレー+ライス」ではなく、まずは「カレーライス」という一つのまとまりとして身についた可能性がある。 その後、ことばの一部に「ライス」が含まれていることに気づき、「カレーライス」の略称としてそれを料理の説明に使おうとした。しかし、「ライス」が料理のどの部分を指すのかについては、大人と同じ分析にまだ至っていないのかもしれない。 子どもの不思議な発言を聞くと、私たちはすぐに正しい表現に直したくなる。 もちろん、ご飯にかけるのはカレーである。 しかし、「ご飯にライスをかける」という発言を少し立ち止まって眺めてみると、子どもがどのようにことばを分け、料理を分類し、目の前の世界と名前を結びつけているのかが見えてくる。 「カレーライスは、ご飯にライスをかける」 料理としては、かなり炭水化物が多い。 しかし、ことばの作り方としては、息子なりにちゃんと考えられているのかもしれない。 今日も息子は、ご飯にライスをかけている。私には相変わらず、カレーにしか見えないのだが。 Tomasello, M.(2003)Constructing a Language: A Usage-Based Theory of Language Acquisition. Harvard University Press ...
昨日の7歳息子との一場面。 「それ、おバカだよ〜!」 と息子が私をいじってきた。 ところが、そのとき私は一日の疲れからか、ぼけーっとしていて返事をしそびれた。どうやら息子には、私が気分を害して黙り込んだように見えたらしい。 すると、少し慌てた様子で、 「あ、あっちのバカじゃなくて、おバカの方のおバカね。バカなカバじゃなくて、おバカの方のおバカ。わかった?」と説明し始めた。 私「え、あ、うん笑」 息子「ふ〜、よかった」 そこで気になって聞いてみた。 私「ところで、バカなカバとおバカは違うの?」 息子「え、違うでしょ。バカは失礼でしょー! ママ、大人なのにそんなこともわかんないの?」 …失礼しました。 息子の中では、「バカ」と「おバカ」は明確に別物らしい。 辞書的な意味だけを見れば、どちらも相手を賢くないと評価する表現である。「お」が付いたからといって、「お名前」のような丁寧語になるわけでもない。 しかし、実際の会話では、失礼に見える表現が必ずしも失礼になるとは限らない。 ポライトネス研究では、人が他者との関係の中で守ろうとする社会的な自己イメージを「フェイス」と呼ぶ(Brown & Levinson, 1987)。相手を「バカ」と呼ぶことは、その能力や自己イメージを否定し、フェイスを脅かす行為になり得る。 一方で、親しい相手に、「アホやなあ」 「ほんと、ばかだね」 「もう、おバカ!」 と言うことで、かえって親しさが表現されることもある。 表面上は失礼なことばを使いながら、実際には相手を傷つける意図がない現象は、mock impoliteness(見せかけの非礼)やbanterとして研究されている。からかいが冗談として共有されれば、攻撃ではなく、親密さを確認する行為にもなる。 息子の「おバカ」も、まさにこの種類のことばだったのだろう。 ただし、冗談は話し手が「冗談のつもり」で言うだけでは完成しない。聞き手が笑ったり、言い返したりすることで、初めて「これは私たちの間で許されたからかいです」という意味が共同で作られる。 ところが、私は返事をしなかった。 息子にとっては、 「…あれ? ママ、傷ついた?」 という小さな緊急事態だったのかもしれない。 そこで息子は、 「あっちのバカじゃなくて、おバカの方」 と説明し直した (言語学的に言えば、リペアをした)。 ここで修正しているのは、単語そのものではない。 「今の発話は、あなたを傷つける悪口ではありません」 と、発話の受け取り方を修正しているのである。 もちろん、「お」が付けば失礼さが消えるという文法規則があるわけではない。「おバカ」の柔らかさは、「お」という接頭辞だけに入っているのではない。 「おバカだよ〜」というイントネーション、ふざけた表情、親子という関係、それまでのやりとり。そうしたものが合わさって、「これは親しみのあるからかいです」という意味を作っている。 ことばの丁寧さや失礼さは、単語の中に固定されているのではない。誰が、誰に、どのような関係の中で使うかによって、相互行為の中で決まっていく。 さて、ここで一つ気になる。 カバはバカでよいのか。カバからすれば、非常に不本意であろう。 それでも、この場面の「バカなカバ」が許容されるのは、実在するカバを評価する発話ではなく、「悪い方のバカ」を示すことば遊びのラベルとして使われているからである。特定の誰かのフェイスを直接傷つけているわけではない。 ただし、動物園でカバを目の前にして、 「このカバはバカだ」 と言えば、意味合いは変わってくる。 ...